14日桑折について叔父の通夜にぎりぎり間に合いお焼香をして実家へ。弟のパソコンでこのブログを下書きしたら、3行くらい書くとエラーになって消えてしまった。3回ぐらい繰り返して試みたが、同じことなので一行で書き込んでみたら成功。それに書き足すとまたエラーがでるのでとうとう一行の日記14日版になってしまった。
福島まで通った懐かしい桑折駅は50年前と同じ陸橋だけの過疎の駅と化していた。エレベーターもエスカレーターもないのでボーっとしていると、女子高生が「お持ちします」と私のスーツケースを軽々と持って階段を登り始めた。改札は無人、箱がおいてある、切符はここにと書いてある。改札をでると駅前ロータリーは様変わり綺麗に整理されてバス停もある。道路が広がっていた。「どちらの学校ですか」と聞くと「成蹊」です。福島の歴史ある私立高。今は男子も入っているらしい。心配そうに自転車で帰っていった。ケータイで弟に連絡すると、すぐ迎えが来て、ほっとした。斎場も聞かずじまいだったから。陽はもうすっかり暮れて真っ暗になっていた。
15日は密葬、告別式、納骨、精進上げと夕方までかかったが、弔辞4名の話で、88歳の叔父が浮き彫りになってきた。中でも書道塾の教え子の女性の弔辞には涙で聞いた方が多かった。何回も直されてもうやめようとした日に、「花丸は飴だ。直しがあったほうが勉強になる、酒でも飲むと元気な字が書けるぞ」土佐としたそうな。叔父は酒は一滴も飲めない人だった。
孫13人曾孫1人の代表はまじめに祖父との思い出を語ってよかった。祖父の笑顔が嬉しかったと。
いとこに出会い、おじがミニコミ誌に川柳を出していたことが弔辞で判った。つくばねにも5、6年出してくれていたのを思い出した。調べてもっていけば役にたったのだが気が回らなかった。というか時間がなかったというほうがあっているかな。
そのあと川柳界 東京番傘会長、番傘本社関東東北総局長加茂如水氏の訃報が入った。季節の変わり目には訃が続く。家に帰ったら、今朝寄って来た三日坊主吟社からも喪中欠礼の葉書にびっくり。
佐藤良子ご夫妻は一言も言わず歓待してくださった。
哀しいときなのに。お嬢さんの急逝だったのに。哀悼。
今日は通夜、明日17日告別式。私は明日列席させて頂く。
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