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10日は、花畑川柳講座。
「川柳はいふう」を見て、「難しい…」とか「判らない…」という感想が出ていましたが、だいぶ皆さんも表面的な川柳から、見えない人間の内側を捉える句も増えてきました。
北斎とその娘が《川柳家》であったことを知り、またお栄さんも《浮世絵師》であったなどを知ると、「俳句には有名な作家がいるが川柳にはいない…」という既成概念が、いかに表面的なものであるかが判ります。
作品を読むことによって、北斎やお栄さんの人柄までも感じられそうなことに、令和の川柳家として、江戸にも有名な川柳家がいたことに誇りが持てそう…という感情が芽生えました。
文化は、「知ること」から始まり、そして深まります。
川柳は、人間そのもの、自分を深めることが作品が深まることに繋がるということに気づいた時、また川柳への思いが変わって見えてきます。

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花畑川柳講座 北斎とご縁”にコメントをどうぞ

  1. 月波与生 on 2026年5月10日 at 8:33 PM :

    「難しい」「判らない」という感想そのものが、実は川柳の入口なのかもしれません。現代川柳は一読で判らないことがあるため敬遠されやすい。しかしそれは単なる難解さではなく、人間の内側や違和感を、説明ではなく余白で表現しようとしているからでしょう。

    もちろん難しければ良いわけではありません。ただ「すぐ判ること」だけを求めると、川柳は説明文に近づいてしまいます。人間そのものが、そんなに単純ではないからです。あとから残る”理解の遅れ”もまた、現代川柳の魅力の一つだと思っています。

    北斎やお栄さんの話が既成概念を崩すように、「判らない」を越えた先に見えるものが川柳にもある。「知ること」から文化は深まるというお言葉が、そのままこの問題への答えになっていると感じました。

  2. 尾藤 川柳 on 2026年5月10日 at 9:36 PM :

    ありがとうございます。
    ここの方々は、10年選手から入ったばかりの方までの15人ほど。
    楽しみの会として指導していた方が亡くなり、私にお鉢が回ってきたのですが、「指導」されてきたのではなく、「互選」の形で、点取りを楽しんできたようです。
    今年から、少しずつ歴史文化や表現(単に句を作る事ではありません)を伝えることにより、だいぶ余韻のある作品にも慣れてきました。
    「現代川柳」などと新しがることはないのですが、戦後の「現代川柳作家連盟」などの活動を紹介するにあたり便宜的に用いた用語です。
    いま行っている川柳は、みな現代川柳です。そして、戦後の「現代川柳」は、既に当然の表現法になってしまいました。私どもは、その世界を一歩でも出た表現を求めたいと思っておりますので、作家の一人一人が、その新しい抜け道を模索しているのです。
    過去を知らないと、何が新しいか判りませんので、常に過去の検証とともに新しい道を考えようとしております。
    知ること…、口では簡単ですが、既に広がり過ぎた世界で、なかなか難しいものです。
    頑張りましょう。

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