遅くなりましたが、このたび熊本・大分地震につきまして、被害に遭われた方々に、謹んでお見舞い申し上げます。
台湾川柳会の別府在住会員、高島白梟様は「畑で青シートを敷いて皆で寝たり、お茶を飲んだりの生活」をしていました。熊本の噴煙柳社が会場が使用不能となったほか、平田朝子代表自身も水・電気・ガスのない生活を強いられております。
そんな状況にもかかわらず、白梟様からは通常どおり投句してくれて、川柳蝶の会べっぷ会報も送付してくました。平田代表からもいつもの通り、ふんえん誌を送付くれました。本当に厚く御礼を申し上げます。一日も早く平常の生活に戻れるよう心からお祈り申し上げます。
さて、表題は当会ベテラン会員、李錦上さんの短歌です。5/23付の読売歌壇で、トップで入選していました。選者の岡野弘彦先生から以下の評ありました。
李錦上さん、久しぶりの投稿ですね。あなたも九十歳になられましたか。あなたが師母と慕われる方はさらに高齢でしょうね。ご無事であることを私も祈っています。
同短歌の「師母」とは李錦上様の公学校(日本統治時代、台湾人子弟向けの小学校)の国語先生の奥様ことです。当の国語先生夫妻は終戦後、熊本に引き上げましたが、その後も李錦上さんと文通しており、先生がな亡くなった後も、師母とも文通をつづいてております。
李錦上さん自身は公学校のあと中学に進み、卒業後、第二海軍燃料廠工員養成所・台湾燃料廠第1期幹部工員依託生となりました。訓練のため日本へ渡り、1943年、三重県四日市に滞在中、高浜虚子の「ホトトギス」に投句して入選しました。句は「朝顔にしろがねの星大きかり」。16歳でした。李さんは文芸への思いから日本への移住も考えたが、長兄が日本兵としてベトナムで戦死したため、台湾に戻ることになりました。
終戦後、李さんは47年間、台湾の小学校教員として勤務。1992年定年後、台湾歌壇(短歌会)、台北俳句会に入会し、そして2007年1月から台湾川柳会にも入会しました。因みに李さんの住まいは台中。短歌会、俳句会、川柳会に参加するため、一か月に三回、片道二時間のバスに揺られながら台北まで来てくれています。
特記すべきことは、2014年3月2日、台湾川柳会20周年記念句会では、「開店と閉店だけに来るお客」の一句で、全日本川柳協会、大野風柳理事長から特選入選で、大層喜んでおりました。
ところで、熊本の師母とは連絡とれたでしょうか、九十歳のお爺ちゃんは以下の短歌を寄せてくれました。
恩師の家は壁崩れ師母は無事だと返事のハガキ
ps..李錦上さんの波乱万丈の人生をもっと知りたい方は「近くて近い台湾と日本~日台交流川柳句集」p100を御覧くださいね。結局は本の宣伝になるブログ…悪しからず
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最後の短歌の訂正
熊本の恩師の家は壁崩れ師母は無事だと返事のハガキ
…^_^
久しぶりの更新を拝見しました。
1人で何もかもされているので、ご苦労のほどお察し申し上げます。
先週、台湾川柳会の柳誌を拝受いたしました。
6月の交流会の投句用紙の返信もお待ちしています。
投句用紙が正式な参加申込書を兼ねていますので、よろしくお願いします。
楽生さん
コメントありがとうございます
愛媛大会でお会いしましょう
交流会の宿題、プレッシャーですが
なっとか頑張ります 杜青春
李錦上さま。第1席の入選、おめでとうございます。じ~んと来る短歌ですね。
下の句が良いです。下の句を引き出す、「居たまふや」がまた絶妙でした。
杜青春さん、ブログへのアップ、お世話さまです。
小生も、李錦上さんの入選を数日前に知らされました。台湾川柳会20周年のお祝いにご一緒に訪台した女性会員から、でした。
青春さん、松山でお会いしましょう。(小生は前夜祭欠席デス)
江畑先生
コメントありがとうございます
知らせてくれたのは成島静枝様です
感謝!松山でお会いしましょう