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川柳にもっと「物語」を―五七五の向こう側

 川柳はわずか十七音の短文の文芸である。しかし、優れた川柳を読んだとき、私たちはその十七音だけを読んでいるのではない。一句の前に何があったのか、このあと何が起こるのか。作者はなぜこの言葉を選んだのか。そんな「見えない物語」を無意識のうちに想像している。私は、これからの川柳にはもっと句の中に「物語」があってもいいのではないかと思っている。

句の前後を想像させる

例えば、「密室に濡れた傘だけ残される」という句があったとする。なぜ密室に濡れた傘があるのか。持ち主はどこへ消えたのか。外は雨だったのか。それとも傘を濡らしたのは雨ではなかったのか。十七音には何も説明されていない。それでも読者の頭の中では、すでに物語が動き始める。川柳は説明し過ぎない文芸である。だからこそ、書かれていない部分を読者に想像させることができる。私はこの「余白」こそ川柳の大きな魅力だと思っている。作者と一緒に読者も入ってその物語を想像して楽しむという川柳の奥の深い文芸性に出会う時がある。そういう句は人の心を惹きつけてやまない。

「出来事」ではなく「ドラマ」を詠む

 日常生活には川柳の材料があふれている。夫婦の会話、定年後の暮らし、孫との時間、病院の待合室、旅先で見た風景、駅での別れ――。しかし、それをそのまま報告しただけでは、一句が平板になってしまう。大切なのは、その出来事の中から「何かが起こりそうな瞬間」「人の心が動いた瞬間」を切り取ることである。一句を読んだ人が、「この二人に何があったのだろう」「このあとどうなるのだろう」と思ってくれたら、その川柳には小さな物語が生まれている。十七音ですべてを語る必要はない。むしろ、語らない部分を残すことによって一句は広がっていく。

川柳とミステリーは相性がいい

 この「語らない部分」に注目すると、先のブログにも書いたが「川柳とミステリー」には意外なほど共通点があることに気づく。ミステリーには「謎」がある。川柳には「余白」がある。ミステリーは読者に「なぜ?」と考えさせる。川柳もまた、優れた句ほど読者を十七音の外側へ連れ出してくれる。例えば、「鍵穴が知らない夜を覚えてる」「合鍵がひとつ増えてる朝の靴」こんな句を読めば、そこからいくつもの物語を想像できる。一体それは誰の鍵なのか。誰が合鍵を作ったのか。昨夜、何があったのか。十七音そのものが、ひとつの「謎」になるのである。

「川柳ミステリー」という新しい試み

 私は川柳とミステリーを組み合わせた「川柳ミステリー」という新しい小説分野に取り組んでいる。川柳を単に小説の中に登場させるのではなく、一句そのものを事件の手掛かりにしたり、折句や嘱目吟、呼名、投句箱といった川柳独特の世界を謎解きに結びつけたりして執筆している。そこには、川柳を知らないミステリーファンに川柳の面白さを知ってもらいたい、そして川柳の世界に新しい読者を呼び込みたいという思いもある。前のブログにもそのことを書いたが、「川柳からミステリーへ。ミステリーから川柳へ」この二つの文芸を結ぶ橋ができれば、川柳の楽しみ方はさらに広がるのではないかと思う。

十七音は「物語の入口」である

 一句の中に物語を全部詰め込む必要はない。むしろ十七音では「入口」だけを見せればいい。扉を少しだけ開けて、その向こうに何があるのかを読者に想像してもらう。笑いの一句にも物語がある。夫婦の一句にも物語がある。社会を穿った一句にも、その背景には人間のドラマがある。そして、ときには一句の向こう側に「事件」さえ隠れている。川柳は十七音で終わる文芸ではない。むしろ十七音から始まる文芸でもある。一句を読んだあと、読者の頭の中でもう一つの物語が始まる。そんな川柳を、もっと詠んでみたいと思っている。

柳山

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