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 昨日は「川柳と数学」について書いたので、今日も数学の話を少し続けてみたい。

 数学の世界には、問題そのものは驚くほど簡単なのに、解くことが途方もなく難しい問題がある。その代表格が「フェルマーの最終定理」である。

■ 小学生でも意味が分かる難問

まず、3²+4²=5²という式を考えてみよう。9+16=25だから、これは正しい。このようにx²+y²=z²

を満たす整数は存在する。ところが「2乗」を「3乗以上」にすると事情が一変する。

xⁿ+yⁿ=zⁿこの式は、nが3以上の整数なら、x、y、zがすべて正の整数となる解は存在しない

これを証明するのが「フェルマーの最終定理」という問題である。

 言っていることは実に単純である。「2乗なら答えがある。しかし3乗、4乗、5乗……では一つもない」というだけだ。ところが、この「一つもない」を証明することが、とてつもなく難しいのである。

■ 「余白が狭すぎる」という謎

 17世紀のフランスの数学者ピエール・ド・フェルマーは1637年ごろ、古代ギリシャの数学書を読んでいて、その余白に有名な書き込みを残した。「私はこの命題の真に驚くべき証明を発見したが、この余白はそれを書くには狭すぎる」とだけ書かれていて、その証明は残されなかった。

 それから数学者たちの長い挑戦が始まった。最終的にアンドリュー・ワイルズらによって証明が完成するまで、実に350年以上を要した。現在では、フェルマー自身が一般の場合まで証明できていた可能性は低いと考える数学者が多い。

■ なぜそんなに難しいのか

 一般の人には、ここが一番不思議ではないだろうか。コンピューターで数字をどんどん入れて調べればよいようにも思える。しかし、そこに第一の落とし穴がある。たとえば100万まで調べて解がなかったとしても、100万1に解がないとは証明できない。1兆まで調べても同じである。つまり整数は無限に続くからだ。

 つまりフェルマーの最終定理では、「いくら探しても見つからなかった」ではなく、「未来永劫、どんな巨大な整数を持ってきても絶対に存在しない」ことを論理的に証明しなければならない。

これが第一の難関である。

■ ワイルズは正面から攻めなかった

 ここが数学の面白いところである。ワイルズの証明は、xⁿ+yⁿ=zⁿ

という式を延々と計算して解いたものではない。「もしフェルマーの式に解が存在すると仮定したら、ある特殊な楕円曲線が作れる。しかし、その曲線は別の数学理論から考えると存在できない。したがって、最初に仮定したフェルマー方程式の解も存在しない」という、いわば外堀から本丸を攻める方法だった。

 その背景には「楕円曲線」「モジュラー形式」「ガロア表現」など、フェルマーの時代には存在しなかった高度な現代数学がある。ワイルズは楕円曲線のモジュラー性に関する重要な部分を証明し、それまでの研究成果と結び付けることで、フェルマーの最終定理を決着させたのである。

■ 難しさの正体

 フェルマーの最終定理の難しさを一般向けに一言で表すなら、「問題はたった一行、しかし証明には数学の巨大な世界が必要だった」ということになるだろう。

「3以上では整数解がない」という文章なら中学生にも理解できる。しかし、それを証明するためには、数論、代数学、幾何学などが長い年月をかけて発展し、それらを結び付ける必要があった。実際、完全な証明を解説する専門書は、大学院生や研究数学者を読者として想定するほど高度である。

■ 川柳とフェルマーの最終定理の共通点

 ここで川柳に話を戻してみたい。川柳も、たった十七音である。五・七・五。形だけを見れば実に簡単だ。しかし、その十七音の中に笑い、穿ち、軽み、人情、余韻を込めようとすると途端に難しくなる。

 フェルマーの最終定理も、数式そのものは一行で書ける。それなのに人類は350年以上もその証明に挑み続けた。実は「簡単に見えるものほど奥が深い」のだ。川柳の歴史は宝暦7年柄井川柳による最初の「万句合」を開催した時から始まった。そう「川柳の歴史はまだわずか270年」である。しかしその正解はまだ解明されていない。むしろ川柳には数学的な正解は無いとも言える。

 これは数学と川柳の意外な共通点なのかもしれない。数学者が一つの証明を求めて何年も考え続けるように、川柳人も十七音の一句を前にして、一字を入れるか削るかで悩み続ける。そう考えると数学者の「証明」と川柳人の「推敲」は、案外よく似た営みなのではないだろうか。

「フェルマーの最終定理」わずか一行の数式の解明に350年。「川柳」はわずか十七音の一句に一生。

 「フェルマーの最終定理」も「川柳」も、短いからこそ奥が深いのである。川柳はわずか17音なのにいまだに何が正解なのか解明されていない。それほど奥の深い短文の文芸世界なのである。多くの数学者が「フェルマーの最終定理」の魅力にとりつかれたと同じように、多くの川柳作家は川柳の魅力にとりつかれてしまうのである。それも「フェルマーの最終定理」と「川柳」の共通点なのかも知れない。

柳山

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