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大山阿夫利神社と川柳――江戸大山詣りから村田周魚へ

 神奈川県伊勢原市にそびえる大山。その中腹に鎮座する大山阿夫利神社は、古くから「あめふり山」とも呼ばれ、雨乞いや五穀豊穣を願う霊山として人々の信仰を集めてきました。創建は2200年以上前、崇神天皇の御代と伝えられる由緒ある神社です。

江戸庶民が熱狂した「大山詣り」

 大山がとりわけ賑わったのは江戸時代でした。江戸の町人や職人たちは「大山講」という仲間の組織をつくり、連れ立って大山へ向かいました。最盛期には、江戸の人口が約百万人だった時代に年間約二十万人もの参詣者が訪れたといいます。大山詣りでは、滝で身を清める「滝垢離」を行い、大きな木太刀を奉納する「納太刀」という独特の風習がありました。しかし大山詣りは信仰だけではありません。仲間との旅を楽しみ、宿坊に泊まり、名物を味わい、土産を買う。信仰と行楽が一体となった江戸庶民の一大イベントでもありました。ここに川柳との接点があります。

大山詣りは川柳の格好の題材だった

 川柳は人間を詠む文芸です。真剣に神仏へ願いながらも、旅に出れば酒を飲み、仲間と騒ぎ、土産を買い、時には羽目を外す。そんな庶民の本音と建前、喜怒哀楽があふれる大山詣りは、川柳にとって格好の題材だったのでしょう。実際に伊勢原市の日本遺産「大山詣り」の解説でも、大山詣りが当時の人々の大きな関心を集め、歌舞伎、浄瑠璃、落語と並んで川柳にも取り上げられたことが紹介されています。考えてみれば、川柳とはこうした庶民の日常を笑いと穿ちで切り取って発展してきた文芸です。「信仰」という厳粛な世界のすぐ隣に「遊び」があり、「祈り」の隣に「笑い」がある。この人間臭さこそ、大山詣りと川柳を結び付けたものではないでしょうか。

川柳六大家・村田周魚の句碑

 そして大山と川柳の縁を語るうえで忘れてはならないのが、川柳六大家の一人、村田周魚翁です。

昭和41年(1966年)、大山阿夫利神社の参道に周魚の句碑が建立されました。

【お互いの齢をほめあう山の道】  村田周魚

 何とも味わい深い一句です。険しい山道を歩きながら、「まだまだ元気だな」「あなたこそ」と互いの齢を褒め合う姿が浮かびます。老いを嘆くのではなく、ここまで元気に歩いてこられた人生を互いに讃える。ユーモアがあり、温かさがあり、そして人生への肯定があります。まさに川柳らしい一句だと思います。

 この句碑は道路工事によって倒されたままになっていましたが、尾藤川柳氏はじめ川柳関係者や地元の方々の尽力によって再建が進められ、2019年には復元・再建が実現しました。再建時には大山阿夫利神社社務局で式典と記念句会も開催されています。この句碑の再建については、尾藤川柳氏の川柳ブログにも掲載されています。また8月28日は大山阿夫利神社秋の大祭ということで参拝されています。

大山には川柳の原点がある

 江戸時代の大山詣りから村田周魚の一句まで、その中心にいるのはいつも「人間」です。川柳もまた、二百七十年余にわたり人間の喜怒哀楽を十七音に刻んできました。大山の長い石段を一歩一歩登ることと、人生を一歩一歩歩くことは、どこか似ています。そして、その道すがらに見つけた人間の可笑しさ、温かさ、哀しさを五七五にする。大山阿夫利神社を訪ねることは、単なる神社参拝ではなく、江戸庶民が愛した大山詣りを追体験し、古川柳から近代川柳へと続く文化の道を歩くことでもあるのです。

お互いの齢をほめあう山の道  村田周魚

大山の山道には今も、この一句がよく似合います。

柳山

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