音楽の父 ヨハン・セバスティアン・バッハ
― バロック音楽を集大成した巨匠 ―
クラシック音楽の歴史を語るうえで、決して欠かすことのできない作曲家がヨハン・セバスティアン・バッハです。バッハは1685年、現在のドイツ中部にあるアイゼナハに生まれ、1750年にライプツィヒで65年の生涯を閉じました。「音楽の父」と呼ばれ、今日でも世界中で演奏され続けています。では、なぜバッハはこれほど重要な存在なのでしょうか。
■ 音楽一家に生まれたバッハ
バッハは、何世代にもわたって多くの音楽家を輩出した「バッハ一族」に生まれました。父ヨハン・アンブロジウスも音楽家で、幼いころから音楽に囲まれて育ちました。しかし、9歳から10歳にかけて両親を相次いで亡くし、その後は兄ヨハン・クリストフのもとで暮らしながら音楽を学びました。若いころからオルガン演奏に優れ、アルンシュタット、ミュールハウゼン、ワイマールなどでオルガニストや宮廷音楽家として活躍しました。1717年にはケーテンの宮廷楽長となり、この時代には「ブランデンブルク協奏曲」「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ」「無伴奏チェロ組曲」など、現在も親しまれている器楽作品を数多く残しました。そして1723年、ライプツィヒの聖トーマス教会の音楽監督「トーマス・カントル」に就任します。以後、亡くなるまでの27年間をライプツィヒで過ごしました。ここで「マタイ受難曲」「ヨハネ受難曲」をはじめ、多くの教会カンタータなどを作曲しました。
■ バロック音楽とは何か
バッハを理解するためには、「バロック音楽」を知ることが大切です。バロック音楽とは、おおむね1600年ごろから1750年ごろまでヨーロッパで栄えた音楽様式です。モンテヴェルディ、ヴィヴァルディ、ヘンデル、テレマンなどがこの時代を代表する作曲家です。バロック音楽では、装飾的な旋律、通奏低音、協奏曲、そして複数の旋律を組み合わせる対位法などが発達しました。興味深いことに、バロック時代の終わりを示す年として「1750年」がしばしば使われます。これは、まさにバッハが亡くなった年です。つまりバッハは、バロック音楽の最後を飾った巨匠であり、それまで約150年間に発展してきた音楽技法を壮大な形で集大成した人物といえます。
■ なぜ「音楽の父」と呼ばれるのでしょうか
日本ではバッハを「音楽の父」と呼ぶことが広く定着しています。その理由は、単に数多くの名曲を残したからではありません。バッハは、それ以前のドイツ音楽だけでなく、イタリアの協奏曲様式やフランスの舞曲、ルター派教会のコラールなど、ヨーロッパ各地で発達した音楽の成果を吸収しました。そして、それらを高度な対位法と和声によって統合し、自らの音楽として完成させたのです。とりわけ「フーガ」と呼ばれる対位法的な作曲技法において、バッハは極めて高い完成度に到達しました。一つの旋律が別の声部へ受け渡され、追いかけ合い、重なり合いながら壮大な音楽をつくっていきます。数学的なほど緻密でありながら、そこには人間の喜び、悲しみ、祈り、希望が込められています。この「知性」と「感情」の見事な融合こそ、バッハ音楽の大きな魅力です。
■ 「平均律クラヴィーア曲集」が残したもの
バッハの功績を考えるうえで重要な作品の一つが「平均律クラヴィーア曲集」です。第1巻と第2巻を合わせて48組の前奏曲とフーガからなり、鍵盤音楽と対位法の歴史における重要な作品となりました。この作品は後世の作曲家たちにも大きな影響を与え、現在でもピアノや作曲を学ぶ人々にとって重要な教材となっています。バッハの音楽は、美しい作品であると同時に、「音楽とはどのように組み立てられるのか」を教えてくれる巨大な教科書でもあるのです。
■ 時代を超えて作曲家たちに影響
バッハの音楽は、後世のモーツァルト、ベートーベン、メンデルスゾーン、ショパン、シューマン、ブラームスなど多くの作曲家に大きな影響を与えました。特に1829年、メンデルスゾーンがベルリンで「マタイ受難曲」を取り上げたことは、19世紀の「バッハ復興」を象徴する出来事として知られています。バッハの死後、その音楽の一部は時代遅れとみなされた時期もありました。しかし、その価値が再発見されると、バッハは西洋音楽史の中心的な存在として改めて評価されるようになりました。
■ 宗教音楽から器楽曲まで
バッハの作品世界は驚くほど幅広いものです。代表作には、「マタイ受難曲」「ヨハネ受難曲」「ミサ曲 ロ短調」「ブランデンブルク協奏曲」「平均律クラヴィーア曲集」「ゴルトベルク変奏曲」「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ」「無伴奏チェロ組曲」「フーガの技法」「音楽の捧げもの」などがあります。教会音楽、オルガン曲、鍵盤曲、室内楽、協奏曲など、バッハは当時のほとんどあらゆる分野で傑作を残しました。
■ バッハが音楽史に残したもの
バッハは、まったく新しい音楽を突然生み出したというより、それまでヨーロッパで培われてきた音楽を吸収し、磨き上げ、最高度の形にまとめた作曲家でした。ドイツの対位法、イタリアの協奏曲、フランスの舞曲、教会のコラール。さまざまな音楽文化がバッハという一人の作曲家の中で結びつき、巨大な音楽世界となりました。そして、その遺産は古典派、ロマン派、さらに近現代の音楽へと受け継がれていきました。バッハが「音楽の父」と呼ばれる所以は、まさにここにあるのでしょう。
■ おわりに
バッハが亡くなってから270年以上が過ぎました。それでも「G線上のアリア」をはじめ、「主よ、人の望みの喜びよ」、無伴奏チェロ組曲など、その音楽は現代の日常の中でも耳にすることがあります。時代も国境も越えて、人の心に語りかけ続ける音楽。ヨハン・セバスティアン・バッハは、バロック音楽を集大成した巨匠であると同時に、その後の西洋音楽へ大きな道を開いた存在でした。「音楽の父」という呼び名にふさわしく、バッハの音楽は今も多くの音楽家たちの原点として生き続けています。
柳山
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こんばんは
音楽にもとてもお詳しいのですね。私はピアノを習っていたので(大昔)バッハやモーツァルトやベートーベンも弾いたことがあります。バッハはとても難しいけれど好きでした。ショパンの「革命」も好きでしたが弾きこなせませんでした。どちらかというとベートーベンやブラームスのほうが自分には合っていたようです。今では全く弾きませんが、こちらのエッセイでちょっと思い出してしまいました。
ぱせりさん
こんばんは。
早速のコメントを有り難うございます。バッハ・モーツァルト・ベートーベン・ブラームス・ショパンをピアノで弾いていたとは凄いですね。音楽の世界は心が浄化されますね。今日はある句会で「選者」と「フルート演奏」のご依頼があり「ダニーボーイ」「ユモレスク」を演奏しました。先ほどまで句会の方々と食事をしながら川柳談議をしていました。楽しいひとときでした。
柳山
グレン・グールドは『ゴルトベルク変奏曲』をスタジオで二度録音しています。新進気鋭の一九五五年と、晩年の一九八一年です。どちらも名盤で、いまなお比べる相手がいません。同じ曲を録り直したことで、二十六年のあいだに一人のピアニストが何を捨て、何を残したかが、ほぼ一対の録音だけで聴き取れます。キャリアの入口と出口を、同じ作品が挟んでいるのです。
この二枚が特別なのは、解釈の優劣ではなく、一人の演奏家の最初と最後が同じ作品で公にされていることにあります。演奏時間は五五年盤が四十分に届かず、八一年盤は五十分を超えます。差はテンポだけでなく、繰り返しの扱いにもあります。五五年盤はほとんどを省き、八一年盤は多くを採っています。入口は世界を引っ張り、出口は自分の時間を整えます。どちらを本命にするかは、その日の耳が決めてよいでしょう。
両方を持たないと、グールドの『ゴルトベルク』は半分しか聴いたことにならないのです。
月波与生さま
早速のコメントを有り難うございます。
グレン・グールドの「ゴルトベルク変奏曲」の二度録音された名盤の分析を有り難うございます。グレン・グールドは独特の演奏スタイルですね。世界の名ピアニストをこのブログで取り上げるのも面白そうですね。
柳山
おはようございます
「ダニーボーイ」素晴らしい曲ですよね。羽生結弦さんが「ダニーボーイ」で踊っているスケートをご存じですか?珠玉の滑りです。
ぱせりさま
ダニーボーイは切ないそして素晴らしい名曲ですよね。
昔
掃除機のコマーシャルで、ダニーボーイをもじったのがありました。やはりクレームが来て放送がなくなりました。当たり前ですよね。
ぱせりさん
早速、羽生結弦さんのダニーボーイでの演技をYOUTUBEで拝見しました。素晴らしいですね。キースギャレットのピアノ演奏にぴったり寄り添った見事な演技でした。プロスケーターとなってからも羽生結弦さんの構成力・演技力・スケーティング技術最高ですね。柳山