Loading...Loading...

 公共施設などに設置してある掛時計が故障して針が動かなくなっているような時、昔はよく「故障」と表示した貼り紙を文字盤の上に貼っていたが、今の世の中は「故障中」と表記する場合が多い。これは掛時計だけに限らない。いろいろな機器類が故障で一時的に使用不能となった場合にこの言葉遣いが用いられる。
 「故障」と「故障中」。故障は既にある状態を示しているのだから、「中」は不要ではないか。そういう意見も尤もであるが、何々中と表記するのが今の流行りのようである。しかし大方の何々中の言い回しは、「中」を外しても意味的に誤解されることはまずないだろう。
 勉強中、勤務中など、どれもそのような気がする。「私が勤務中の時に」は「私が勤務の時に」で充分事足りる。しかし敢えてその状況を強調したいのか、「中」を入れたがる癖が誰にでもあるようである。
 英語の動詞の現在進行形(be動詞+動詞の現在分詞/ing)の言い回しについての文法的な学習や認識も、こういった状況変化に関係しているのかもしれない。昔の国語表現では、「野山を犬が走る」「花が咲く丘で君と出会った」などの言い回しの「走る」「咲く」には、その表現の中に現在進行形的な意味合い(「走っている」「咲いている」)が込められていた。しかし、今は「…犬が走っている」「花が咲いている…」と敢えて「いる」を加えた表現をしたがる傾向がある。英語の現在進行形は義務教育で誰でも学習している。これの影響もあるのではないか。
 そもそも古い文語体的表現には、口語体の「…ている」「…てある」的な言い回しは少ないのではないか。まっ、私はそこらあたりの専門家ではないのではっきりしたことはあまり言えないが、「故障」より「故障中」の表記が増えているのは、古典(古文・漢文)より英語の学習の方が実用性の見地からも重宝がられていることが一因となっていると考える。
 昔の文語体は持って回ったような言い方(二重否定などが典型か)が多いが、別の側面では簡潔を旨とする断定調の表現も多かった。今の日本語表現(口語体)は、簡潔・明瞭・断定より、主観的かつ情緒的で冗長な(諄い)言い回しを使う傾向がある。現在進行形の形にして、丁寧かつ饒舌に表現したがるところがある。
 英語で時制のこと(完了形や進行形)のことを理屈っぽく学ばされるが、そもそも時間の流れ(過去・現在・未来)というのは難しいテーマである。だから哲学的・観念的に議論される訳だが、それくらい小難しいものだったら、国語表現にどの時制が適当なのかについて、一般市民的な言語感覚では決定的な正解は存在しない、世間で慣習となっているものが取り敢えず正しいのだと言えるのかもしれない。
 話しは少しずれるが、「非核三原則」というのがある。核兵器を持たず、つくらず、持ち込ませずという考え方だが、これは3つの原則が対等な概念かというと、そうでもなさそうである。核兵器を持たない、つくらないというのは素直に分かる。しかし、持ち込ませずというのは、念押し(アメリカの軍艦などが運び込む)という意味合いが強いと思う。厄介な核兵器を持たないならという考えなら、当然をそれを持ち込まれることも拒否するのが理屈というものである。
 さらに出入国在留官庁というのがある。かつては出入国管理庁、入国管理庁、入国管理局と呼ばれていろいろと変遷していったようだが、現在の名称は諄いという印象を受ける。出国はあまり問題ないが、入国と在留は意味が重なっている。在留のない入国というのは、状況としてあまり想定できない。これも念押しで在留の単語を入れ込んでいる印象を受ける。うーん、やっぱり諄い。不法滞在の問題が顕在化している昨今の社会状況は充分承知しているが、削ってもいいのではないか。何でも網羅すべきではないと思う。病院の入退院について、入院患者の在院日数などとよく言うが、入在院患者などとは言うまい。

ポストする LINEで送る ブックマーク
❤️ ひざポン
ありがとう!

気軽にポチっと
どうぞ(無記名)

コメントはこちらから

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

Post Navigation

Copyright All rights reserved. SHINYOKAN PUBLISHING illustration by Nakaoka.K