「しだれ桜」という桜の種類があるが、これを漢字で書くと「枝垂れ桜」となる(「垂れ桜」との表記もある)。枝が垂れているのでそう呼ぶのは分かるが、何故「し」のところにわざわざ音読みの「枝」を当てているの、以前から不思議に思っていた。訓読みで言葉を整えるなら「えだだれ桜」と呼んだ方がすっきりする。
そしてその疑問を解決すべく辞書にあたった。大辞林(第2版)では、下二段活用動詞の「垂(しだ)る」の連用形から来ていると注記されている。つまり「枝」は単なる当て字で意味はない。枝とは関係ないこととなる。
念のために古語辞典も調べてみた。約50年前に姉からのお下がりでもらい、大学受験で手垢塗れになるくらい使い込んだ旺文社古語辞典があったので、それで調べてみると「し垂れる」と表記され、平安時代は四段活用の動詞であり、後世に下二段活用に転じたと注釈されている。もし下二段活用に転じることがなかったならば、「枝垂り桜」になっていただろう。ちなみに「し」が付かない「垂れる」は口語体、「垂る」は文語体としてそれぞれ現在に至っている。
個人的な考察をすれば、「し垂れ桜」というのが正しいのだろうが、漢字と平仮名の混ぜ書きは少し不細工だから、「し」に「枝」を適当に当てて表記を整えようと誰かが図ったのかもしれない(笑)。
さて、「し」で始まる言葉をいろいろと思い浮かべてみると、どの「し」も単なる接頭辞的な意味合いで冒頭にくっ付いているだけで、語呂合わせの飾りみたいに見えてくるのに気がついた。仕分ける・仕訳ける、仕掛ける、仕上げる、支払う、仕組み、仕方、仕事、仕度(支度)、仕業、仕合わせ(幸せ)、さらに接頭辞ではないが泥仕合(泥試合は誤用)など、これらの単語の「し」に意味はあるのか。単に語調を整えているだけではないか、そう思えてきたのである。「し」をはずしても、どれもそれなりの言葉として成り立つ。例えば「仕分ける」は「分ける」で充分意味が通用する訳である。音読みの漢字表記の「仕」や「支」もおそらくあまり意味の無い当て字だろう。どの単語も訓読みの漢字が続いているのでいわゆる重箱読みになり、これを踏まえると尚更当て字であることは間違いない。
まっ、私は国語学者ではないので専門的なことにはうまく言及できないが、言葉というものは考え出したらキリがない。しかし考え出すともの凄くおもしろい。飽きることがない。世の中のことには一つも役に立たないけれど、私はそういったことが大好きだ。
最後に「し」について、国語学の専門的な知見をお持ちの方のご教示をコメント欄で待っている。
Loading...

















































