カルロス・ゴーン氏の出獄からちょくちょく顔を出す法務大臣森雅子氏。なんとなく身近に感じるのは我が娘たちと同窓、家も近所でした。転勤族なので社宅が森さんの後ろだったのです。ほんの8か月ぐらいでしたが。
はじめは夫の転勤で急遽引っ越しが決まりました。郡山市からいわき市へです。それも3月26日の辞令です。次女と三女は郡山市の安積女子高から転校することに。
そこまでは電話です。次女は学校でした。娘達にも言わずあちこち手配をしていました。
次女は父親の転勤を教頭先生から聞いたようです。「転校試験を受けに行ってこい、白紙でだすなよ」が教頭の言葉だったとか。たぶん先生はこの生徒は演劇部にいるので転校したくないだろうと見抜いておられたようです。私にとってはありがたい事でした。
転校試験はもう終わってたのですが私の恩師が両校におりましたので。お電話をすると「すぐ来なさい」とのこと。運転ができたおかげですぐ娘二人と3人で出かけました。夫は仕事ですから・・・。いわき市には友人もおりまして小名浜に泊めていただきました。テストを受けてそれから制服の注文です。その当時の平市のデバートでした。
そこの店員さんが言うのです。我が家は二人の制服でしたので不思議な縁だったのでしょう。いわき女子高には有名な姉妹がいますよ。といわれました。それが森雅子・森祥子姉妹でした。次女が3年6組になりました。雅子さんは10組でした。三女は安積高校を受験してその点数で編入になりました。でもテストは受けました。森家の近くが社宅でした後ろ前です。植田駅までは一緒一緒の通学です。
又その時の校長先生が私の恩師(科学)若杉先生でした。同窓会を何度かやりました。
森雅子さんは卒業生代表であいさつしたようです。1983年卒業ですからまだ希望の持てる時代でしたが彼女の言葉は「世の中は今後これ以上厳しくなってゆきます・・・」との言葉にびっくりしました。40年後を見越しているようでしたから。その後、東北大に行かれたと思います。あとで親御さんは共産党じゃないかと聞きました。40年後を親御さんは心配されたのでしょう。
社宅も古かったので、新しくできた借り上げ社宅に半年後に引っ越しました。ご近所とのお付き合いは森家とはしていませんでした。きんせい荘のままとその向かいのクリーニング屋さんと公民館長の奥様でしたから。あとは主人の同僚の奥様達です。広い家なので編み物を一緒にやりました。どうしているでしょうか? 皆さん、懐かしくおもい出されます。ゴーンさんのお蔭です。司法も変わるかも。牛久市には入管センターがありますが非常に辺鄙なところです。職員さんも可哀そうです。新卒の職員が牛久だったらお気の毒。古い体制そのままですから。
ゴーンさんひらいてください。
自由吟「開く」で作ってみました。
新しい人との出会い運開く
お開きの後の付き合いものをいう
新聞を開く楽しみ投稿者
梅開くころ逢いましょう初便り
シクラメン次々開く熱い色
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誤字訂正
「自助」は「次女」に。
「共闘」は「教頭」先生に。
「うち」は「家」に。
まだあるかも、ごめんなさい。紀伊子