今日はたのしい ひなまつり
お内裏さまと おひなさま
二人ならんで すまし顔
お嫁にいらした ねえさまに
よく似た官女の白い顔
すこし白酒召されたか
赤いお顔の右大臣 以下略
このうたの作詞はサトウハチロー (1903~1973)。最初の妻と離婚して、実母と引き離された当時6年と4年の御嬢さんのために雛人形を贈った。その喜ぶ顔を見て作ったのが、この歌だそうだ。当時、学卒の給料も50~60円のころ、松坂屋デパートで200円もしたそうです。
その人形は次女の鳩子さんが持っていたが、長女のユリアさんが女の子を産んだ際、鳩子さんがプレゼントしたがのちにユリアさんが捨ててしまったという。人形は残らなかったが歌は残った。
でもこの歌はサトウ家では禁句だったという。北上のサトウハチロー記念館館長・佐藤四郎(ハチローの二男)さんは「父が自分の作品の中で一番嫌ったのがこの歌、我が家ではこの歌の話はタブーでした」と。
四郎さんが大学生のころこの歌がラジオから流れる度に「おい四郎スイッチ切れよ」という。自分の作品なのに、なぜこんなに不機嫌になるのかと不思議だったそうです。ある日、ハチローはぽつんと言った。「出来ることなら、歌に関係する権利をすべて買い取って、この歌を捨ててしまいたい」
孫娘がハチローに「ひな祭りの歌っておじいちゃんのお歌なの?」と聞くと「いや、おじいちゃんはほかにたくさんいい歌を作ってるよ」と答えたそうだ。
歌詞では「お内裏さまと おひなさま」とあるがありえない呼び名。正しくは男雛と雌雛で男女の人形一対をさして内裏雛という。赤い顔は右大臣ではなく左大臣の方、歌が広まると同時に、間違った言い方も広まった。間違いだけではない。ひな壇の風景をそのまま書いただけの歌詞とも見え、詩情に満ちたいつものハチローらしくない。佐藤家のタブーが、14年3月3日の「朝日新聞be 欄」で解りました。
15年3月3日 龍ヶ崎市民セミナー 「薬」「自由吟」
富山から縁も薬も運び来る 凡斉
常用の薬止める日旅立つ日 英二
薬なく毎日過ごす幸せを 節子
輪を外し生まれ変わった薬指 凡斉
薬なんか効きっこないと20年 八重子
俺飲んだ良薬口に甘かった 静夫
妙薬も効かぬ心を時癒す 英二
認知症直せる薬待ち望む 愛子
薬害に苦しむ友の肩が揺れ 八重子
半世紀漢方薬の世話になり 紀伊子
まずいかな一夜飾りの雛飾り 静夫
新幹線今更故郷2時間と 英二
色眼鏡掛け損なってはずれひく 愛子
つるし雛定価をつけて春祝い 英二
口を出る言葉に嫌気さしてくる 愛子
ヤジ飛ばす人の時給はいくらだろ 静夫
ケータイが無い幸と有る不幸 凡斉
朽ち果てて別れがつらいガラパゴス 凡斉
アベノミクストリクルダウンなど知らぬ 紀伊子
大根を漬けてお金に縁がない 紀伊子
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紀伊子さん、おはようございます。
今日も講座で充実の一日になりそうですね。
茨城川マガ句会の様子もありがとうございます。龍ヶ崎セミナーの模様も楽しく拝見しました。茨城のいたるところで、間違いなく川柳が育っている実感がありますね。
紀伊子さんに水海道二校で初めてお会いした時に採って頂いた句が「一杯の水もう少し生きられる」でした。あの時はその場でお題を見て悩みました。入選句をその場で短冊に書いて下さって黒板の前に並べてもらって写真も撮りました。楽しかったな♪またどこかでお会いできますように。
紀伊子さんにとっても明るい楽しい春の日となりますように。
岡本 恵さま
こんばんわ
訪ねてくださったのに、遅くなって失礼しました。
水海道二校でしたね。その頃超有名なめぐみさんでしたのでびっくりしました。
短冊に書いたのでしたっけ・・・。龍ヶ崎一校の次の年でした。それから水戸三校・・・。
いろいろなところで学ばせて頂きました。懐かしいです。
一杯の水もう少し生きられる 恵
でしたね。センマガにも書いたと思います。水海道でしたのし母親大会でしたので「水」をテーマに作っていただきました。さすがめぐみさん、あなたの句とは知らずに特選でしたね。
あの時も一緒だったY、Kさんは水も飲めなくなって入院、足をもんでやって手をさすってやったら、かすかに「有難う」といってくれました。明日あたりまた見舞って来ようと思います。
今日帰ったら、潮来市から悠々塾の予定表がFAXされてきてました。一年は早いですね。
ありがとうございました。