地域のつながりでは役職はほとんど代わって頂いたが龍ヶ崎文化会館内の芸術フェステバルは抜けられず広報部長という役が回ってきた。これは1年で終わるが。
公民館運営委員は川柳が入ってきたので40代で副会長を退いた。子育て後に増えた走友会、コーラス、太極拳の役もつくばね川柳吟社運営のため時間もなくなりやめざるを得なくなった。50代でのひとつの身辺整理であった。個人で出来るウォーキング、カラオケがときどきというくらいうっすら繋がっている。
川柳へのウェイトが大きくなった頃、番傘同人に推薦を受ければほいほいと受けて、その頃、番傘本社総局というものが東京に出来組織づくられた。全国には5つの本社総局がある。関東・東北総局の初代事務局長次長が止められて私に、お鉢が回ってきた。引き受けたのが50代。そこそこにこなせる年であった。
「つくばね」本体が揺らいでいるのに総局のお世話どころではない。とそれで持ち回りでやっていただくように総会の場でじゃんけんで決めていただいた。参加番傘小集一年の持ち回りということに。5吟社事務局を一年交代というのも忙しい。せめて2年ぐらいやらないといつも内容がつかめないうちに終わってしまうと思うが会員が同じメンバーなので出来るのかもしれない。
18年度ほとんど終えてお渡しして、ほっとしたら、つくばねが番傘の冠を付けることになって6吟社になった又複雑になりそう。長年事務局をやったので番傘冠もすんなり出来たのかも知れない。会員であることにはそれほど負担はない。それでも今古希に限りなく近づいた今年あたり、雑務整理をしなければならないとも思い始めている。
事務整理能力も散漫になるので、どなたにでもわかるようにしておかなければならない。書き置けばよいが、それが一番難しいことである。あまり大変大変といえば引き受け手はいなくなる。誰かがやらなければ動かないので、誰でもさりげなくやれるようなシステムにしなければならない。
開くより閉じるが難儀なる事務所
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