私の川柳講座のある水戸市財団法人常陽芸文センターで発行している「常陽芸文」2008・8月号は表記竹内浩三特集を組んでいる。
私も知らなかったので興味深く読んだ。
竹内浩三は1921年、三重県伊勢市生まれ。旧制宇治山田中から日大専門部映画科に進学。41年の太平洋戦争突入で翌年入営、43年9月に茨城県の西筑波飛行場に編成されていた陸軍の滑空飛行戦隊(グライダー部隊)の搭乗兵員に配属された。この部隊にいた期間中44年の元旦から7月27日まで一日も欠かさず小さな手帳に日記を残していた。それが「筑波日記」と呼ばれている。竹内は終戦を待たず23歳の若さでフィリピンで戦死した。死を直前にして茨城を愛した若者がいた。
彼の無念な思いは詩につづられている。
「骨をうたう」
戦死やあわれ
兵隊の死ぬるやあわれ
遠い他国でひょんと死ぬるや
フィリピンの戦場に消えた23歳の青春
昭和17年(1942)6月在京の宇治山田時代の同級生3人と「伊勢文学」を創刊、11月までに5号を出す。
同年9月大学の6か月繰り上げ卒業、10月には入営が決まったので文学誌の発刊を急いだ。現存の浩三の詩と小説の多くは同誌に載ったものなっている。
2月4日付けには
下妻ノ町ヲ、ボクハ好キダ。
タベモノガドッサリアル。
火見櫓ヤ、ポストヤ、 停車場ガ気ニイッタ。
コノ町ノ女学校ノ先生ニデモナロウカト、
本気デナンドモ考エタ。
ガタガタノバスヤ、軽便汽車ノ中ノ、
ランプヤ、オ婆サンの顔ヲ好キダ、筑波山ヲカスメル 白イ雲ヲ好キダ。
吉沼デ、マンジュウヲ喰ッタ。卵ヲ買ッタ。
米ヲ一升買ッタ。仕出シ屋デ、ソレヲタイテモラッタ.サンデカルピスヲゴチソウニナッタ。
吉沼には十一屋という旅館と書店があった。今も古い町並みが残る吉沼に「十一や書店」の看板で本と文具を売る店が存在する。浩三は「饅頭」が好きだったらしく外出先で購入したり軍隊内で支給されて「マンジュウタベタ」ことをしばしば記している。本居宣長記念館には「筑波日記」が展示されている。
「骨のうたう」の続き
だまって だれもいないところで ひょんと死ぬるや
ふるさとの風や こいびとの眼や ひょんと消ゆるや
国のため 大君のため 死んでしまうや その心や
白い箱にて 故国をながめる
音もなく なんにもなく
帰っては 来ましたけれど
故国の人のよそよそしさや
自分の事務や女のみだしなみが大切で
骨は骨 骨を愛する人もなし
骨は骨として勲章をもらい
高く崇められ ほまれは高し
なれど骨はききたかった
絶大な愛情のひびきをききたかった
がらがらどんどんと事務と常識が流れ
故国は発展にいそがしかった
女は化粧にいそがしかった
ああ 戦死やあわれ
兵隊の死ぬるや あわれ
こらえきれないさびしさや
国のため
大君のため
死んでしまうや
その心や
6月22日付け東京新聞「日曜訪問」の中でドイツ文学者小林察氏は述べる「軍国主義思想に洗脳されず、詩を愛して自由を求めた竹内は戦争を主題にした詩が注目されがちだが、芸術性のとんだ天性の詩人。戦争という怪物と闘いながら、時代を超えた詩に挑んだ人がいたことを伝えたい」と。
8日にこの欄に書いた、憲兵に捕えられ獄中死した川柳家「鶴彬」にも言えることと思う。
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