表題句の作者、武田栄治、実は台湾川柳会の創始者の一人、廖運藩先生の日本名です。運藩先生は1928(昭和3)年生まれ、今年米寿になります。1942年中学の時初めて作った俳句が表題句です。「軍国少年の面目躍如」の同句を新聞に投稿したら初掲載となり、トンボ鉛筆1ダースの賞品が届きました。以来、運藩先生の俳句人生が始まりました。
後に終戦を迎え、台湾は日本の植民地統治から離脱しましたが、蒋介石政権の下38年間も及ぶ戒厳令が続きました。集会活動は当然禁止の時代でしたが、それでも1970年台北俳句会発足、1980年春燈俳句台北句会(以下「春燈台北」)発足となり、運藩先生も同二句会を参加してきました。
戒厳令の時代、同二会の会員達はいつ弾圧を受けるか分からいという気持ちで句会に臨んで来ました。殊に春燈台北の創設者、加藤山椒魚先生は当時すでにビジネスで10年ぐらい台北に滞在していましたが、1984年集会活動を行っていることで摘発され、日本に即強制送還されました。戒厳令は1987年にやっと解除されて、今年、台北俳句会は創立45周年、春燈台北は創立35周年を迎えようとしております。
ところで、運藩先生の川柳を始めたきっかけは?同じく中学の時、昭和二年版の柳多留を手にして、「釣れますかなどと文王そばへ寄り」、「美しい顔で楊貴妃豚を食い」等の名句に出会い、忽ちのめり込んでいきました。1994年台北川柳会(当時)発足の時も、即創始者の一人として参加され、今日に至っております。今では句歴、柳歴共に70年超の大ベテランです。
それに引き換え、中学の時小生はマンガばっかり読んでいました。「マンガなんか読まないよね」と聞くと、米寿のお爺ちゃんから次の答えが戻って来ました。
「もちろん読むよ!のらくろ二等兵!復刻版全巻持ってる。アイツ最後は大尉まで昇進したぞ...」
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