うなぎの産地偽装が話題になっています。
うなぎと言えば、いつも思い出すのが檀一雄「檀流クッキング」にある檀と太宰治のエピソードです。手元に本が無いのでうろ覚えで紹介すると↓
うなぎの頭や切れ端を出す安い屋台で飲んでいるとき、檀が食べたうなぎに釣りの針がついていた。これを見た太宰は手を叩いて喜び、「檀君、それが人生の余禄というものだよ」と言った。以来、私(檀)はことさらにうなぎを肴として珍重するようになった。
もしうなぎに針が刺さっていたら、私なら怒ってしまうだろうし、下手をしたら、それこそ「社長を出せ!」の話になるだろうかと思います。
それが「人生の余禄」になりえたのはなぜか、と考えると、それは食べたものの向こう側に作り手や釣り手の顔を想定できた時代だった、ということなんじゃないかと思うのです。
「うなぎを釣った時、このうなぎがずいぶん暴れたから針が折れて残ったのだな、その時釣った人は驚いただろう」というふうに考えると、なるほどうなぎの針は人生の余禄になりえるかもしれない。
相次ぐ食品偽造は作り手から消費者の顔が見えないことが一因だろうし、一部マスコミが過剰なまでにそれを報じるのもやっぱり作り手のことを全く考えていないからだと思います。
いつでも食べたいものが食べられる今のシステムに馴れきっておきながら言うのもずうずうしいですが、やはり食品偽造からは複雑化した流通の問題点が見える気がします。
基督のやうな顔して鰻ゐる 前田雀郎
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