19日に倒れた息子は21日午前6時38分に47歳の生涯をとじました。
みなさんに「ありがとう」の励みの言葉をたくさん たくさん いただいたおかげで、息子は発見された時すでに99%脳死状態だったそうですが、医師に手術をしていただき、コロナ禍のなかで面会が自由に出来ないのに、わずかな時間でしたが、19日は集中治療室での呼びかけにも応え、20日のリモート面会での呼びかけにも応えてくれました。特に20日、名古屋がんセンターに入院中の長女がスマホから「○○、お姉ちゃんだよ、お姉ちゃんは24日には退院するから、そしたら直ぐに会いに行くから、それまでに○○は元気になるんだよ」と呼びかけ時には、あの小さなスマホから、長女にもはっきりとわかる程の目の動きで応えてくれました。
息子は、私が愛知大学豊橋校舎でのオープンカレッジで「川柳」講座講師の機会をいただくことになり、受講生募集のPRを兼ね、タウン紙に載った時には「お母さん、目立ちすぎ…」と嬉しそうな声で電話をくれました。
一度は家業を離れていた息子が、もう一度後継者としてもどった時には「お母さん、三年待ってくれな、そしたら、お母さんが好きな川柳が出来るようにしてやるからな」と言ったのに… 約束を破られてしまいました。
でも、今ここで私が泣いてばかりいては、息子は安心して天国へは、亡父の所へは行けない。今ここで私が家業を止めてはいけない…、川柳も止めてはいけない。息子に「俺の所為で…」とだけは思わせたくない。
忌が明けて、息子が仏さまになる時に、天国で待っている亡父に、あれからの事を笑顔で報告できるように、辛くなったら「ありがとう」を繰り返し、19日以前の私に戻ります。父と息子に見守られている… 私ほどの幸せ者はいないです。
みなさん、息子へのたくさんの「ありがとう」をありがとうございました。
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順子さん
「辛くても頑張れ」
今はそれしか言葉が出て来ない。
田口さん、おはようございます。
1月26日の災害防止協議会議は大会議室と製造会議室に分かれて行われました。会議に入る前に息子のために黙祷をしてもらいました。菜穂が「お兄ちゃんは帰って来てて良かったね」と告別式の時に私にささやいたんですが、ほんとうにそうで、息子ほどの幸せな送り方をしていただいた者はいないと思う。お姉ちゃんが病み、5月にはT岩さんが退職をされる。「僕は一人になる」と心細がるから「今は5月を思うより、一日一日、今日明日の事だけを考えよう。ただ働く背中を見てもらう。そうすると自然に○○君のために働こう。助けよう。力になろうという人が必ず増えていく。今は徳を積む時だよ」と親子で話していたのに。
外国の従業員も「ぼくのお兄ちゃんだった」「僕は大好きだった」昨日は事務所にタイムカードを押しに来たベトナム研修生が、ロッカーの所を指して「ここでいつも着かえをしていた」とかたかたの日本語でいいます。ぜんぜん1人ではなく皆皆一緒になって、働いている息子を慕ってくれていた。
60歳過ぎた日本人も息子のためにもうひと頑張りと思ってくれいた……なのになのに…。アクシデントに遭うなんて…。一番びっくりしているだろう息子のために、とにかく49日の忌明けまでは、しっかりお経をあげるね。工場を守る。
帰宅したら、PCの電源を入れて、一息ついたら、皆に話そう、聞いてもらおうと思うけど、身体が思うように動いてくれなくて…、。とにかく、今日を頑張って来ます。
順子さん 焦らなくてもいいですよ。
私には決して経験することの出来ない道を歩んでいるのですから、貴重な時とじっくり向き合ってください。一歩踏み出した時 もう手の届かないような素敵な順子さんになっちゃうでしょうね。
「ありがとう」の言葉をかみしめながら、一日一句でも作ろうとするのですが、凡人の哀しさまだ出来ません。棄てて捨てて すてたところに、ありがとうの言葉が有るような気がしています。
2月句会開催出来ると良いですね。楽しみにしています。
21日に亡くなられて、今日までの哀しみの深さを想います。そうですね、あなたが泣いていると息子さんが「俺の所為で、、、」と哀しまれます。明るくパワフルな順子さんに戻って、安心させて下さい。
完司さん、やさしさをありがとうございます。
昨日、思い切り泣きました。
五年くらい前だったかの、日川協札幌大会が開催された時に、故郷の同じ部落で同学年の友達が札幌の人と結婚しているので、札幌に向かう前に連絡したら、ホテルに逢いにきてくれました。、彼女は開催されたホテルで働いていたこともあり、一緒に川柳大会も見てくれて、一緒にいる間中思い出話をしては泣き笑いしました。
彼女は2009年に、私の息子と同じ年生まれの息子さんを34歳で亡くされていて「Sちゃん…」と電話かけてしまいました。
私が「私が何を悪いことをしたというのかねぇ…」と言うと、Sちゃんが
「そうよ、私たちは小さい時から苦労ばっかりしてきたというのに、なんで子供を先に亡くさんといかんのよねえ、私は神様なんていないと思ってるよ」と一緒に泣いてくれました。
私は毎日息子と一緒に仕事していたし、倒れてからも息子が3日間頑張ってくれたから、まだまだ幸せ者だと思うのに…。でも泣いたら少し楽になりました。がんばります(#^.^#)
順子さん!おはようございます。
息子さんの突然のアクシデントにびっくりして、コメントの言葉を失いました。
二十日からのコメントを何度も読み返し、順子さんの心の中に息子さんはしっかり生き帰ったのだと思いました。家族の思いが必死の生命力で伝わったのだと思いました。
これからも、かけがいのない命に支えられて強く生きなければと、自身にも言い聞かせています。
辛いけど・・・虎の母ですものね。
雅子さん、
昨日、完司先輩とこへ書いた、Sちゃんとね、
「神さまは超えられない試練は与えないというけど、あまりに酷くない」と、神さまの悪口をいっぱいいっぱい言ったんだよ。
Sちゃんは、コロナ禍で息子さんの13回忌を大阪に住むお姉さんにお寺さんへのお参りをお願いしたんだって。コロナが明けたら「順子ちゃんに会いに行くから」って言いってくれて「大阪に行く行きか帰りに寄ってね、会おうね」と約束しました。
昨日から長女がスマホ(ケータイやさんに働いていた)やPCに詳しい娘(長女)と一緒に来てくれてます。息子は私に似ず几帳面だったから、契約したものの登録番号や暗証番号を便箋に控えていました。今、それを元に解約等の手続きをしてくれています。明日は菜穂さんが休みなので動いてくれます。
自然は確かで、季節は動き、春が芽吹きだしている…。負けてられないですね(*^_^*)
順子さん
順子さんは絶対くじけないと思いました。
この数日間 みんな息を詰める思いで「順子さんがんばれ」と声をかけていたと思います。
順子さんの一番偉いところは、そういうみんなの気持にまで気が回るところ。
こうやってエールが送れるようにしてくれてありがとう。
でも、しんどかったら無理しないで。
順子さんが倒れたら困る人ばかり。
息子さんのご冥福心からお祈りいたします。
たかこさん、こんばんは、今日が無事に終わったよ♪
19日に豊橋番傘三ヶ日支部の世話人さんから、26日の句会は中止にします、の連絡をもらいました。「三ケ日にも川柳を」と動き働きかけてくれた方は、三ヶ日役場で広報関係の仕事の経験があり、豊橋番傘三ヶ日支部は私を含めて10人ですが、12ページの季刊誌を発行しています。9人の鑑賞文を書くのが私の役目(笑)で、ちょうど鑑賞文を書くために想像の翼を広げ夢見る夢子になりかけていた時でしたので(発行は2月になるのかしら?…)と何となく気落ちしたような安堵したような気持ちの時の息子のアクシデントでした。
昨日、三ヶ日川柳の皆さんが、私を元気づけたいと、私へのエール川柳を一人1句ずつ作句してくれた「令和4年1月 第11号」を、世話人さんが、「1日でも早く先生に読んでもらって元気になって欲しい」と我が家まで届けてくれました。
有り難くて嬉しくて、泣いたり立ち止まったりしてたら罰が当たるねぇ…、と息子の遺影に語りかけました。たかこさん、無理せずにぼちぼち歩き始めます。エールをありがとう。おやすみなさい。
謹んでお悔やみを申し上げます。
勢藤潤さま、こんばんは
お悔みを有り難うございます。
確か、関東のどこの大会だったかは忘れてしまいましたが、一度お話しましたですよね?
語り会った内容は忘れてしまいましたが、楽しい時間たったことを覚えています。
今また、しみじみと川柳に出会えて、川柳を続けていて良かったと思っています。
私は川柳には助けられてばかりです。作句までは心が奮い立ちませんが、寝る前に柳誌を読めるようになりました。明け方に句が浮かんで目が覚める…そんな日が早く来るように、今から眠くなるまでの間を柳誌を開き多読します。おやすみなさい。
順子さん、皆さん!おはようございます。
昨日は、豊橋番傘川柳会よりブルーの封書が届きビックリでした。
そう言えば二月号が届く時期だから、二月号は休刊だけど二月句会の句箋と、三月号に載せる近詠の用紙だと気づくまで時間がかかりました。
私の中で時間が止まっていたけど、しっかり二月から三月号に向けて芽吹いていることに気づきました。
そして、コロナ禍にあってもしっかり社葬が取り行われ、参列出来なかった人たちへも心が伝わる、同封されたご家族の温かい思いが伝わる文面のコピーに救われる思いがしました。
ありがとうございました。
どうか忙しい順子さんに変わって、今までのようにブログの温かいコメントが復活されることを密に願っています。では皆様のご健康を心より願っています。
順子さんを影で支えて下さってる豊番スタッフの皆様に感謝です!ありがとうございます!
順子さん記事を読み唖然としました、なんと言うことでしょう、どんな言葉も慰めにはならないかもしれませんが、順子さんなら辛いこともきっと乗り越えれれると信じています。
泣きたい時は思い切り泣いて下さい。涙は辛さを流してくれるときいたことがあります。
余りに早い人生を閉じた息子さんもおかあさんに見守られて安心してるのでは、、、
元気出してはやくいつもの順子さんにもどれますように。合掌
なごみさん、久しぶりです。嬉しかったです。ありがとうございます。
仕事は従業員が回してくれるので、何とか滞りなく運んでいて、ただただ感謝しながら一日一日を生きてます。自分が今何をやっているかもわからない精神状態なのに、習慣とはすごいというか、金欲なのか、やっとこさで請求書作成が終わりましたよ。
息子に心配させないように、とにかく49日忌が終わるまでは…、と自身に言い聞かせています。信ちゃんにもよろしくね。コロナが収束したら会おうね、って。柳友に会えるのを今の私の励みにします。
すこしづづ心も体も無理せず前を向いていこうね。なごみも約二年の激痛との戦い、そして昨秋、夫が逝きもうほんとうにこころまでおれそうでしたが、みなさんの励ましをたくさんいただいて、一歩もあるけなかったころから、リハビリのつもりで毎日少しづつ散歩して、やっと杖も捨て自力で歩いてるよ。
順子さん元気出してね。