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「ギブミーチョコレート」   加藤 哲郎
 昭和二十年八月十五日、三年八ヵ月続いた太平洋戦争(第二次世界大戦)がようやく終わった。私はその頃やっと三歳になったばかり、戦争の欠片も感じることはなかった。昭和二十年代も半ばになると、戦争の混乱により疲弊した日本の社会も少しずつ立ち直りを見せ、人々のくらしにも明るさが見えるようになってきた。
 ある夏の日曜日、家族そろって蒲郡の竹島へ遊びに行った。当時、蒲郡ホテル(現クラッシックホテル)をはじめ常磐館、竹島館などこの一帯は占領軍(進駐軍)に接収され、入り口には「OFF LIMITS」の看板が掲げられていた。周りをぐるりと囲われた金網の中では青い瞳の親子がプールで泳いだり、馬蹄形の鉄の輪を投げて遊んでいる姿が見え、大人も子供も金網にしがみついてこの光景を眺めていた。金網の高さは低かったが、戦勝国と敗戦国の垣根は山ほども高かった。
昭和二十五年六月二十五日、海を隔てたお隣りの国で朝鮮戦争が勃発した。家の前の東海道線を、朝な夕なに兵員を乗せた輸送列車が西下して行った。実はこの列車が通るのを密かに楽しみにしていた。夏の暑い日、神社の狭い境内では上級生から下級生まで集まってワイワイ騒いで遊んでいた。誰が嗅ぎ付けてきたのか、夕方の五時二十分頃になると兵隊さんを乗せた列車が通ることが判った。農協の屋根の上の拡声機が五時を知らせると、みな境内を駆け下りて線路端に並ぶ。やがて東の方から蒸気機関車に牽引された列車が近づくと大声で手を振る。陽気なアメリカ兵は惜しげもなくチョコレートやガムを投げてくれた。みんな奪い合うように拾い「戦利品」を見せ合う。拾えなかった小さな子にはチョコレートを千切って分け与え仲よく遊んだ。チョコレートの匂いはとても上品な香りがし、食べるのが勿体なく家に帰って母親にもひとくち食べさせてあげた。
 今年は戦後七十年の節目の年である。国会では重要法案の一つである集団的自衛権をどうしても通したい安倍首相であるが、私は好きだった叔父を先の戦争で亡くしています。母は生前実家に行くと必ずお墓に参り、自慢だった弟の墓前でいつまでもいつまでも対話している姿を見るのが悲しかった。今ごろはきっと天国で再会している事でしょう。戦争は絶対にしてはいけない。「ギブミーチョコレート」はもうあの夏で終わった。

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今日は、豊川海軍工廠に空襲があった日です。
私は戦後生まれなので詳しくは知りませんが、
水川さんは、非番か何かで命拾いをし、友人は亡くなられたとかで、豊川市が行う慰霊祭に毎年参加されています。
工場は豊川海軍工廠の跡地にあるので、
毎年8月7日は、豊川稲荷さんから和尚さんに来ていただいて、供養塔の前で慰霊祭を行います。
仕事中に亡くなった方への供養もします。
去年までは夫が参加していましたが、今年からは私が参加させてもらいます。
来賓として平成3年10月から平成7年3月までの豊川工場長が見えます。
一番厳しい時代に辛い任務で工場長になられた方です。
久しぶりに、
「ドキュメント ゼネコン自壊」高橋篤史著 2002年2月12日発行を本棚から引っ張り出しました。
事務所に持って行き、もう覚えている人も少なくなっているあの時代を振り返りたいと思います。

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川柳 豊橋番傘 8月号 『自由の広場』から”にコメントをどうぞ

  1. 信ちゃん on 2015年8月7日 at 5:56 AM :

    「豊川稲荷」⇒「和尚さん」なんですか?神社か?と思っていました。(変な所に食いついてゴメンナサイ)「ギブミーチョコレート」しっかり読まして頂きました。言葉だけは知っているんですが・・我が子を戦争に取られた親の気持ち・・兄ちゃん・弟・を無くした兄弟・姉妹の気持ち・・青臭いと言われても「反戦の句」を作り続けようと思います。

    • 鈴木 順子 on 2015年8月8日 at 6:47 AM :

      信ちゃん、おはよう(*^。^*)
      あっそうか、私は慣らされ過ぎてて、ぜんぜん違和感なかったですぅ、
      豊川稲荷さんは禅宗のはずで、永平寺のエライ人になられた和尚さんもいるし…
      定時制の同級生は「禅(これは確か)倫(この字はあやふや)生」って呼ばれてたし…
      まっ!笑って読み過ごしてくださいませな

      それより、なにより、鰹さんのこと    悔しいです
      第29回NHK学園全国大会(開催日 平成28年3月18日)のチラシ、
       当日投句選者 の鰹さんの写真があまりにも痩せてて
      (もしかして病気に…)とは思ったんですが、まさか… 
      どういうこと? なんということ? と何回も繰り返しています
      川マガ『近代川柳作家作品合評』の
      「人生の儚さを知る保険金」の原稿を書いてる時には、
      まだ病名は知らんかったんだよねぇ…
      ほんとうに神様は私たちのことを公平に見ているのかねぇ…

  2. 沢田正司 on 2015年8月7日 at 9:05 AM :

    終戦を迎えたのは国民学校2年生のときでした。玉音放送のことはよく覚えていませんが、その日から不気味な音を唸らせていたB29の音もなくなり、子供心にもほっとしたことを思い出します。進駐軍がときどき学校にやってきては教育の模様を視察していきました。チュウインガムもくれましたが、ジープに乗せて回ってくれたことや、ソフトボールの道具をくれたことなど親切なロビンソンという名の軍人が今も記憶にあります。終戦前まで、鬼畜米兵といわれていたことが嘘のように思えたものでした。

    • 鈴木 順子 on 2015年8月12日 at 7:23 AM :

      正司さん、
      アメリカの軍人さんでも、親切な方々もいますよねぇ…。
      郷土文芸応募作品のなかに、無念を上手に表現した作品がありました。
      公表になった後に、このブログに載せさせてもらおうと思っています。
      うちのブラジル人従業員に、アントニオ・×××…・ロビソン君がいて
      10年近くうちにいるのに、日本人たちのなかには、未だに「ロビンソン」と呼ぶ人がいます。
      年配の方たちですが、きっと子供の頃に読んだり聞いたりした「ロビンソン・クルーソー」(?)の話が残ってるんでしょうね(笑)
      今日まで働いたら、お盆休暇に入ります。
      でも、その前に、午前中は「本郷川柳会」です。
      何とか資料も揃いましたので出かけてきます。

  3. なごみ on 2015年8月8日 at 7:07 AM :

    ”ギブミーチョレート”吸い込まれるように一気に読ませていただきました。しみじみ戦争の惨さ、怖さなどなど考えさせられますね。この夏はとくに平和の尊さを強く強く思います。

    鰹さんのこともブログでしりました。いちにち頭からはなれません、まさかまさかですもの、千葉でお会いしたとき、あれっダイエットかな?と思いましたが・・・
    でも奇蹟を信じましょう!みんなでお祈りしましょう。
    10月こちらの誌上大会の選者さんをしていただくのよ。

    • 鈴木 順子 on 2015年8月12日 at 5:51 AM :

      なごみさん、
      おはようございます。
      一昨日と昨日と、信ちゃんからハガキが2通届きました。
      住所のない「返信不要です」のハガキが…
      男の友情が、ハガキから溢れ出ていました…
      みんな、奇蹟を信じて祈ることしかできない無力が、無念なんだよね…

      たかこさんに「ウオータースカンク(水くさい)」と笑われそうな内容ね(笑)

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