毎年年末になると、お節料理をどうしようという話になる。デパートへ行けば、ズラッとおせちの見本が並んでいる。折り込みちらしやDMで、いろいろな見本も送られてくる。だが夫婦二人ではいつも食べ残しが出るのだ。美味しいものからなくなっていき、結局残るものは毎年大体決まっている。最後に残ったものは捨てることになる。それで今年は買うのを止めようかという話になるのだが、結局は買うことになるのだ。今年も迷った末、大丸の展示会で、余り量の多くないのを買った。買えば買ったで、今年の内容はどうだろうと楽しみでもあるのだ。
子供時代のおせちは全部母の手作りだった。何しろ普段は食うものも食えない時代だから、お正月にお餅を腹いっぱい食べられることと、お節料理を食べられるのが何よりの楽しみだった。黒豆が大きな鍋で煮られ、きんとんを作るためにさつま芋が裏ごしにされていく。取って置きの砂糖がどっと入れられる。普段はサッカリンかズルチンでしか甘みが取れない時代だから、砂糖が出てきただけで生唾が湧いてくるのだ。ゴマメが甘辛く煮られ、ゴボウの胡麻和えが出来る。鍋でコトコト煮られていく黒豆をつまみ食いしたくて、何回も鍋の蓋を取って覗いては叱られる。もういくつ寝るとお正月という歌がピッタリとくる年末だったのだ。
年越しは毎年息子の家族を交えて賑やかに行われる。孫たちが小さい時はそれはそれで楽しかったが、すっかり大きくなった今は今で楽しい。何しろ息子の次に背が大きいのは孫娘たちなのだ。孫たちに昔の食べるものがなかった時代の話をしても、一向にピンとこないようだ。孫と言わず、息子夫婦でも同じだろう。食糧難で飢えていた話は、その時代に生きた人でないと分からないのである。おせち料理を余すなんて、とんだ罰当たりなのだが。
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