14時46分から1分間、ワンセグから流れる政府主催の追悼式の合図にあわせて東京支社で黙祷しました。
かたわらでは愛猫のムギューが、キョトンとした顔で私を見上げていました。
皆さんもそれぞれの思いで、この日を迎えたことと思います。
あれから1年が経ちました。
東京支社のある文京区も震度5弱がおそい、書棚の本や資料がめちゃくちゃにひっくり返されました。
ムギューは余震におびえて、しばらく机の下でふるえていました。
町から灯が消え、スーパーの棚から食料品や飲料水が消え、宅配便の集荷時間が3時間はやまりました。
宅配便の集荷時間は、現在も元に戻りません。仕事の進め方を変えざるを得ない大きな変化でした。
川柳マガジン読者の投句が届くのか心配しました。今でこそ書けますが、雑誌を無事に被災地の読者に届けられるかが心配で、一時は4月号の休刊さえ検討していました。
個人的には、大切な友人のご両親の命が津波でうばわれました。
周囲の環境だけでなく、皆さんと同じように自分の考え方も劇的に変化しました。
津浪の町の揃ふ命日 誹諧武玉川初編21
すごい句だなと思っていたこの句に向ける思いも、3・11を境に一変しました。
この句は、たった十四音。
淡々とした描写が余計に津波の恐ろしさ、犠牲者の無念、残された者の悲しみをストレートに伝えています。
後世に伝えていかなければならない一句です。
その一端を担うのが、私たち川柳総合雑誌の役目だと心に誓いました。
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