先週の土曜日、9月24日は番傘川柳本社参与・岩井三窓先生のお別れ会でした。
ここ暫くは一線からは退いておられましたが
創刊の頃から大変お世話になっている先生のお一人でした。
川柳瓦版誌に連載されたものをまとめた「紙鉄砲」「紙鉄砲Ⅱ」などを
弊社から刊行していただいています。
三窓先生の飄々としたエッセイは川柳界のみならず
他の文芸の世界の人にも人気があり
「三窓ファンクラブ」なども存在するほど、皆さんから愛されていました。
好奇心のかたまりのような方でエッセイのネタには
終生困らなかったのではないか、と思います。
「うんうん、結構、結構」とボソリと少し高めの声で
ふんふんと頷いていただけると安心したものです。

三窓先生が終焉の地に選ばれた場所は私が育った町で、
いつかはここに戻ってこようと思っている場所です。
所謂「地元」で、図らずも何年ぶりかで降りたつことが出来たので
物心ついたときから毎日のように行っていたお寺にお参りして帰りました。
小学生の頃、門が閉まったこの場所でうさぎ跳びをしたなぁ。。
昔は境内に鳩がいっぱいいて、池の近くにあった売店では鳩の餌も売っていて
餌やりも出来ましたが、今はフンなどの関係から鳩にはご遠慮願っているようです。
池が綺麗になっていて亀が来るたびに増えているというか大きくなっているというか。。。
7年前に実家も引越してしまったので、
本当に何か用事がない限り来る機会が無いのですが
やはり、この土地が一番落ち着きます。
今のホームグランド・玉造も大好きな町ですが
そこここに落ちてる思い出の数が違いますものね。

写真の最奥に、私が通っていた小学校があります。
ここにある図書館で「川柳劇場」の句会が行なわれていました。
忙しさを理由に足が遠退いてしまっている愛する地元へ
三窓先生が呼んでくださったのだと自分に都合良く思っています。
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歌謡界に美空ひばりはもう生まれないだろうし
川柳界に岩井三窓さんほどの方はもう出て来ないような気がして・・・父親を亡くした時のような淋しさがずっと続いております。
あの阿呆がそう言うたかと嬉しがり
いたやん氏と三窓先生、で思い出すと先ずこの句が浮かんで来ます。
「紙鉄砲」にも度々取り上げられていた数々の作品。
響くところが同じだったのだと思います。温かくて情緒のあるコメントがもう読めないのが切ないですね。
岩井三窓さんのご冥福をお祈り申し上げます。
ブログで拝見する迄知りませんでした。
今年もお目にかかれたらと楽しみにしておりました。
こだわりが嬉しい大正もん同士
威張るなよやがてあなたも骨箱に 番傘人間座 平成4年8月
月並みであるけど戎橋で逢う
河内弁と船場言葉がごちゃまぜで 〃 平成5年6月
手許にありましたのですぐに開きました。
「心斎橋筋案内」1丁目〜2丁目まで、商店街の家並みを描いた地図をコピーして差し上げた時はとても喜んでくださいました。
私が大阪の昔を語り合える方が一人もなくなりました。
昭和54年11月号 構造社「川柳」13号、創刊2周年記念座談会
「大正の会」のメンバー11名,皆さん彼岸へ旅立たれましたのではないでしょうか。いま懐かしくお名を追いかけました。
悲しさと淋しさついつい長いメールになりました。
お忙しいシーズンです。
ご無理なさいませんようお過ごし下さい。
ブログ欠かさず楽しませて頂き有難うございます。 千歩
いつもコメントありがとうございます。
商店街の家並み、というのはきっと三窓先生の書かれるエッセイの格好の材料になったのではないでしょうか。
物凄く喜ばれただろうなぁ、と想像してしまいました。
懐かしいお話が出来る方が少なくなるのは寂しいですね。
また機会がありましたら、色々な懐かしいお話を聞かせていただきたいです。
千歩様も、朝が急に寒くなってまいりましたので
風邪などひかれないよう、気をつけてくださいね。
千歩さん、
三窓さんの句、ここを開いては、しみじみ読ませてもらっています。親しみを感じ、千歩さんってどんな方かなと『川柳マガジン年鑑』を開きました。私、大阪が大好きだから、いつか大会会場で会えるかも…と楽しみが増えました。ご縁に感謝です。