今日は午前11時から総会でした。
総会は皆さんの協力で滞りなく終わりました。ありがとうございました。
総会が終わり、席題発表(13時)までに少し間があったんですが、しばしの女子会の場に。楽しい会話が飛び交って、こんな時間もいいもんだなぁ、と忙しかった川柳三連荘を忘れさせてもらいました。
昨日の二川のんほい川柳会の帰りに「黒潮ねぎ」をハウス栽培しているS花さんから
「明日の豊番の句会で皆さんにあげて」と、たっくさんの「黒潮ねぎ」を預かりました。句会終了後には皆さんに持って帰ってもらいました♪
国籍がペルーの従業員からスマホのラインに「母の日おめでとう」の薔薇の花束が届きました。仕事にも波があり、毎日毎日が真剣勝負ですが、彼らにひもじい思いだけはさせたくないとオーバーにも神妙な気持ちになっています(笑)
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順子さん みなさん おはようございます。
ご無沙汰しています。「黒潮ねぎ」のS花さんのお名前があり、面識はありませんが、昨年応募した岐阜県文芸祭の狂俳の部に入選されていた方ではないかと、勝手にそう思っています。もしそうで有ればお目にかかるチャンスが有ればお聞きしたいことがありまして、それは7・5または5・7の区切りに一文字分空白が有り、その理由が知りたいのです。
最近川柳でも空白をあける句を見かけますが、アナログ的な私にはあえてあける理由が、作品を読む者がその経験から間を取って味あえばいいと思っていたのに、ここですと強調されてしまうと。
順子さんが勉強しなさいと、届けてくださった作品集は一冊全句に空白が有り硬い頭の私は今だ次のページをめくれないままです。ごめんなさい。
田口さん、こんばんは、今日が無事に終わりました。
S花さんは、田口さんが故郷に帰られた後からの、豊橋番傘の仲間でした。
豊橋番傘の竹の節目みたいな時期に、豊川やしの実さんで川柳を続けられていましたが、
二川のんほい川柳会へ友人を誘って見学に来てくれ、その後からは、ずっと二川のんほい川柳会の仲間です。即、豊橋番傘の誌友にもなってくれました。
川柳歴もあり旨い作家さんですが、豊番の近詠仲間となるにはまだ歳月がかかるのかな?
でも数年前に「愛川柳協の会員は豊番にするわ」と言ってもらえた時には流氷が解けていくみたいな気持ちになり嬉しかったです。
S花さんは岐阜県の川柳吟社に友人がいて、そちらの交換川柳誌の中にS花さんの作品が掲載されているのを楽しく読んでいます。思いやり深い優しいお姉さんです。
川柳作品の空白は私も賛成しかねています。
詠み手(作家)が空白にしたい気持ちはわかりますが、読み手(読者)は空白がなくても詠み手の思いは伝わります。理解できます。1句を送り出した後は読み手の心に委ねるくらいの度量を持ちたい。苦吟して詠んだ1句はを世に送り出すんだもの、自信をもって読み手がいかようにも想像の翼を広げられるように、「川柳は一行書きで詠む」の姿勢を大事にしたいと、川柳教室の中では話さしてもらっています。
私も古い人間と言われようとも阪井久良伎や井上上剣花坊が、狂句の時代から「新川柳運動」を展開した時の思いを大切に川柳作句を続けていきたいです。
田口さんに差しあげた川柳句集を読んだ時に、作品の1句1句に感動をしました。が、空白がただただ悲しかった……。数年前を振り返っています。
順子さん お忙しい時間を割いていただきありがとうございました。
作品を読む楽しみのひとつに、間をどこで取るかが有ります。
気になった作品に勝手に節を付け詠じることが有り、5・7・5で間(息継ぎ)をとるか、どこで間をとるか考える 作者さんとの対話も楽しみのひとつです。選者さんが披講する時の間ときっと同じではないかと想像しています。
でも この間は変化するのですね。読む力が進歩か退化は別としてですが、それも楽しみです。
私の考え方が大きくズレていなくてホットしています。ありがとうございました。
皆さん、こんにちは
皆さんには、おかわりないですか?
私は川柳三連荘の疲れか、やたらに眠い日が続いています。火曜日もそうで、ちょこっと中抜けして自宅で少し昼寝をし、知らんぷりして事務所に戻りました。
今日もそうで(今日は朝礼がないから、もう少し…)と寝ていたら菜穂から電話。時計を見たら9時。「10時から面接だよ」
慌てて洗顔、パタパタ化粧、急いで身支度、何とか10時前には事務所に到着。フゥーと思っていたら、面接者はすでに来ていて、秀さんが、紹介をしてくれた従業員に「まずは工場見学に」と言い、工場を回っているところでした。
紹介してくれた従業員の話では、溶接は出来るが今度は溶接以外の仕事がしたい、と話していると言うので、多能工者になってもらえばいいと思ってしました。
元請けからは、この頃は毎日毎日「あと一人溶接やを」と言われ続けていて、私や、うちの工場長だけでなく、菜穂にも話すようになってきて…、溶接工は緊急の問題でした。
工場見学を終え、履歴書を見せてもらい、こまごま話しをし、また聞かせてもらい、それから工場長を呼びました。ロボット溶接も実溶接もグラインダ研磨の経験がありました。(溶接の腕は確かだな)と思う。
工場長も交え色色話した後で、工場長が「溶接はいやだと聞いていたから仮組、グラインダ研磨、検査仕上げの多能工者にと考えていたけど、君が工場を回り溶接作業を見たうえで、溶接とグラインダ研磨のどちらを希望しますか?」と聞いたら「溶接」
34歳です、5月22日から紹介してくれた従業員の溶接ラインで働くと決まりました。
何と、履歴書を見直したら私と同じ誕生日です。ご縁が続きますように…です。