政治オンチだから、あまり政治のことを書くと笑われそうですが、6月24日の読売新聞に、『語る』と題して、元官房長官の野中広務さんが話されたことが載っていて、そうなのよそうなのよと思いながら読んだことを一部抜粋します。
「…野田さんは、思ってたより、ようやっとるね。自民党、公明党と、消費税の合意をなんとかまとめ上げた。自分の信念を曲げずに貫いたのは、政治のトップに立つ人間の基本や。70点ぐらいあげていいんじゃないか。野田さんは、見てると脇が甘いし、人事がヘタだ。だけど、非常に能弁。しかも、他の閣僚が答弁でけつまずいた時も、自分で出てって助けてやってる。あんな総理は見たことはない。普通は逆だ。民主党は、自ら血をかぶってでも刀をふるって、必死になって総理を支える、そういう勇気のあるやつがもっと増えないと。…」
総理大臣の任期が1年になってしまった(?)ような状態から、もうそろそろ卒業できないものか知らん。もう、ちょっと見守ってあげられないものか知らん。ねぇ。
こんなのんきな事を書いてる場合じゃないか(笑)
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がんばれ順子(ー_ー)!!
雅美さん、
水川さんから「川柳あいちNo48-1が届いてる。話すことは出来ないが、渡すことは出来る」と病室の番号が書いたメールが届いたので、明日面会に行ってきます。
表には書かないほうがいいと思って書かなかったことが気になってたのか、また、こんな時間に目が覚めたは。
タイトルは『また離合集散が始まる』だったのね。今んとこ、小沢さんは思い留まっているいるみたいだけど…。
「…昔、宮沢喜一さんが総理になる直前、僕は竹下事務所の小部屋で小沢さんと二人きりになって、「あんた、総理やれよ」と言うたことがある。派閥が団結していけるかどうか、非常に大事な時期だったから。そしたら、彼は「ありがたいが、やっぱり10年間は身辺整理してからでないと、総理大臣はできない」と言うた。それが何を意味してたかはよう知らん。けど、当時から、世間には出ていない様々な問題が、彼をああいう人間にしてしまったんじゃないかと僕は思うね。…」
野田総理は、千葉県の県立船橋高校を卒業し、早稲田大学出身の政治家。県立船橋高校は、通称「ふなこう」と呼ばれ、千葉県立高の御三家の一つ。小生も時々出張に出かけたりします。つい先日も将棋の大会で生徒を引率いたしました。
したがって、総理になったときは多少の親しみを感じておりました。ただし、総理としてはたいしたことはないと思っていましたが、案外やるもんだと、最近は彼の(失礼!、総理の)言動を見守っている昨今です。
哲男さん、27日の昼間、私も哲男さんのことを思い出していました。返信にかからんといかなぁ…なんて。(二人しかわからないね、笑)
昔々、みやざきたかお著のコミックまんがで、『小説吉田学校』の1巻から12巻までと、『大宰相』1巻から10巻までを読んだことがあります。
輿石幹事長は今、三木武吉さんみたいな働きをしてるんでしょうかねぇ。頑張ってほしいです。
水川さんのお見舞いに行ってきました。
筆談ですが冗談も言えるほど快復していました。
行って直ぐに渡されたメモには「何らかの理由で口の中、喉がはれてきて、急にだんだん大きくなり、呼吸が止まり窒息死しそうになった、急ぎ、喉を切開手術 この先、喉の腫れがひけば、切開場所を塞ぐことができる。その時点で会話可能、退院」とありました。
いがいと、元気そうだったので、「8月号の巻頭言は会長の番なんだけど、どうする、原稿用紙は持ってきたけど」と言ったら、置いていけとの仕草、そして「さすが、社長だねぇ」のメモをを奥さんに見せて、大笑いでした。
20日にカラオケに行き、21日に奥さんは話し方がへんだなぁと、思っていたけど、水川さんは平熱が低く、いつも36度くらいで大騒ぎする人だから、「熱がある」と言っても、そう気にせずに、22日の朝もモーニングに行ってたら電話がかかってきて、それからが大変だったようです。
奥さんが、水川さんのことを「おじいさん」と言われるのに一瞬びっくり。そうだよねぇ、80歳過ぎてるんだもんねぇ。無理させてるよなぁ、と思いながらの帰宅でした。
東山さんとの、校正も無事終わり、今、印刷が終わりました。会社に持ち込んで、仕事の合間合間に製本します。
発送は、明日になります。7月号は、ちょこっと遅くなりますが、お許しください。