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昭和52年7月23日(私が28歳)に、7歳の次女を亡くした時、町内の同じ組の方が見えて、

「7歳までの子供は神様の預かり子、あなたは、徳の高い子を神様から預かりお返ししたんだよ。輪廻転生といって、人はこの世へ7回生を享ける。子供さんは7回目この世への最後の生を受けて真っ当されたのよ。お母さんがいつまでも悲しんでいたら、徳の高い娘さんが、お母さんが心配で先に進めない」と慰めてくれました。

それからの私は「南無阿彌陀仏」とともに「実相円満完全」(人の本来の姿は円満で完全である)を仏壇の前だけでなく、車で信号待ちの間なんかにも口遊むようになりました。次女に見守られて、その後の人生の苦難を乗り越えてきました。

令和2年7月、長女にがんが分かった時には、膵がんが既に肺に転移してステージⅣでした。手術も出来ず、頼りは抗癌剤だけでした。今年の3月まで60回余の抗癌剤治療をしました。もう胸にあけたポートは点滴を受け付けてくれなくなって、飲む抗癌剤に切り替えました。4週間飲んで2週間休む。次の時には、長女の体は飲む抗癌剤治療をするための数値に達しなくなって…「来週にしましょう」を何回か繰り返しましたが、数値は達せず、治療の全てを卒業(変かな?)しました。

緩和病棟に入院するか、家で介護看取りをするか。入院すると、コロナ禍なので面会時間が限られ、面会人も限られる、とのことでした。

長女ばかりでなく家族の皆が長女と一緒に居たくて介護看取りに決めました。心臓マッサージもしない、救急車も呼ばない。8月4日に退院してからは、5日と9日以外は、長女と共に過ごしました。8日に見えた医師に「あとどれくらいですか?」と聞くと「4日は…」。

夕方に見えた看護師が、長女の娘(初孫)と私に「先生はどう言われましたか」と聞く。「後4日は…といわれました」「間違いないでしょう、急変すると2時間ということもあります。コロナ禍ですが、会わしたい人、会いたい人がいたら会わせてやってください」

10日、菜穂が姉のスマホから、姉が豊橋に来る度に会っている方へ連絡。南高校時代の陸上部の方にも連絡。連絡網がしっかりしていて、何でも長女はお世話係(仕切り屋さん)が好きだったらしく、11日からは14日まで、2・3人ずつ15名くらいの方が会いに来てくれました。新幹線のぞみを使って会いに来てくれた人が3人もいました。

私が「みさちゃん、誰かわかる?」と言うと「○○さん」と答える。皆さん手を握って「今はしっかり休んで、赤ちゃん(長女にとって初孫)の生まれる日(11月22日)までには元気になるのよ」と励ましてくれました。帰りには娘から「きてくれて、ありがとう、バイバイ、またね」と言えるほど、気はしっかりしていましたが、

8月15日11時13分に息を引き取りました。

痛がりもせず、苦しみもせずに長女はこの世を卒業しました。

13日に長女が思いがけない曲(グッドナイトベイビー)を口遊む。「歌いたかったけど音が高くて歌えなかった」と言う。ユーチューブで流すと、「世良正則」と一言。カムカムエヴリバディで世良正則が歌った曲や藤井ふみやの曲を流す。部屋は素敵なジャズ喫茶に変身。菜穂が「お姉ちゃん、何が聞きたい?」と言うと「ノクターン」と答える。それからは、菜穂が姉がピアノで弾いた曲やよく歌った曲等々を流すと、長女は「いい雰囲気ねえ」と言う。

54年の長女の人生で、最後に神様はどの時代に帰らせてくれるのだろうか、幸せな時代であって欲しいと願っていたので、こんなに嬉しくて幸せな時間はなかったです。

眠り続ける長女に時々 ↑ の曲を流し、皆で歌ったりしました。

これからの私は、頑張り屋さんで親に似ずしっかり者だった長女に、気丈だった長女に見守られる事になります。私ほどの幸せ者はいないと思います。

陰で応援してくださっていた、多くの川柳仲間の皆さんへ、ありがとうございました。

ただただ思いつくままに。順子

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神さまから預からせていただいた三人目の子供逝く”にコメントをどうぞ

  1. なごみ on 2022年8月17日 at 7:49 AM :

    順子さん 何ということでしょう、びっくりでなんともうしてよいやら言葉がみつかりません。
    でも順子さんが気丈にふるまわれ、気持ちの持ち方次第で長女ちゃんは幸せ・・・とかまた涙がでて止まりません。南無阿弥陀仏。
    お疲れさまでした、当分あれやこれや翻弄されるかもですがお体だけは十分に気を付けてくださいね、信ちゃんも今朝ラインがあり順子さんにくれぐれもよろしく伝えてということです。

    • 鈴木 順子 on 2022年8月20日 at 11:50 PM :

      なごみさん、こんばんは
      18日がお通夜、19日が告別式でした。
      17日の夜は長女の自宅(室温20度)で長女と枕を並べて眠りました。
      18日の夜は葬儀会館(室温22度)で、秀さんと親子三人で同室で眠りました。
      気丈だった娘に笑われないように……ぼちぼち元気を取り戻します。
      信ちゃんにも、必ず元気になるから、って伝えてください。おやすみなさい。

  2. 雅子 on 2022年8月17日 at 10:26 PM :

    順子さん!こんばんは!
    美里ちゃんの最後はご家族全員で見守られて、最期は痛がりもせず苦しみもせず逝かれたことが、せめても救いです。
    本当に良く頑張って、残された者たちへ強く生きること、自身のことよりもお母さんへの思いやり、芯の強さ明るさ最期まで諦めない前向きさなどなど、多くを教えてくれた気がします。
    8月4日の退院から15日のお盆の間の12日間は、相当苦しかったと思いますが、精いっぱい生きて、愛する者たちへ少しでも生きている証と、悔いのない日々を残されたのでしょうね~
    きっと三人の娘さんたちも、今後どんな苦難にも強く立ち向かって行かれると思います。
    順子さんも本当に辛い中にも、ブログを更新して下さり有難うございました。
    娘と色々話しながら、何度も読み直しブログを開いたり閉じたりしていました。
    娘より美里ちゃんは七つ上ですが若くして三人の娘さんのお母さんであり、11月22日には初孫のおばあちゃん、陸上部でスピード人生、早く色々やり終え、お友達もいっぱい、充実の人生だったと思います。
    人生は長さではなく濃さかも知れないと色々思い巡らしています。
    今後は先に旅立たれた妹、弟さんと仲良くされて、お母さんを見守ってくれると信じています。
    ご冥福をお祈りします。(思いつくままに言葉にしました)元気な順子さんに戻られますように・・・・・おやすみなさい・・・・

  3. 雅子 on 2022年8月20日 at 3:49 PM :

    順子さん、皆さん、こんにちは!
     昨日は蒲郡川柳会、第3金曜日でしたが、公一さん、芳子さんの御世話役のお陰で、無事に開催されました。
     順子さんの他に律子さんの存在感あるお二人の欠席で隣席の(てうろうさん)が、ちょっぴり寂しそうでしたが・・・(笑)
     私は、先生が欠席だから、まずは席題を三つ考えてと言われ、キクちゃんとも相談して三つ考え、公一さんが皆さんの採決で、(雲)に決まりました。
     ちょっぴり遅れて見えたタカシさんも、相変わらず学者で(砌)という難しい漢字の句で、清記の公一さんと私で、辞書を引いたり(笑)勉強させて頂きました(笑)
     雲の使われた9名×2句の合計18句は、それぞれにメルヘンあり、願望あり、追憶ありの、さすがに人生豊かなメンバーの名句ばかりで、互選の5句を選ぶのに苦労しました。
     皆さんの名句やピカッと句を紹介したいのですが、生憎ひかえて来なかったので、私の句でごめんなさい!     叔母逝きて慰霊の旅のいわし雲
                頑張った背に一際あかね雲
     17日に、昨年七月に亡くなった叔母の掛川市へ息子の運転で行き、いわし雲に秋風を肌で感じながら(ひょっとしたら千の風?だったかも?)思い出にひたった実感句と(せなにひときわあかねぐも)は私の終章の願望?
     生の句会はまた(一味ちがう良さがあるなあ)と独り悦に浸りながら蒲郡駅のホームで12時22分の普通電車を待って帰宅しました。
      皆様の胸にはどの様に響きましたか?
     お聞かせ頂ければ幸いです。
      明日は豊番句会!体調の許す限り出かける予定です!  じゃあね~

    • 鈴木 順子 on 2022年8月21日 at 12:04 AM :

      雅子さん、こんばんは
      蒲郡川柳会8月句会の様子を伝えて下さり、ありがとうございます。
      和やかな句会の雰囲気に癒されてます。ありがとうございます。
      おやすみなさい。

  4. てつろう on 2022年8月20日 at 10:07 PM :

      順子さん、みなさん今晩は!少しお借りします。
     暑い夏が終わりました、「わたくし的」ですが。甲子園で熱戦中の高校野球、地元の学校が姿を消した時点で、私はこの夏が終わった、といつも思っておりました。快進撃を続けていた愛工大名電、ひょっとしたらVもありや、と期待を膨らませてくれましたが、仙台育英に屈し惜しくも姿を消しました。その仙台育英が22日の決勝戦に、まさかや~もあるかも。
     
     昨日の蒲郡川柳会、先生と律子さんがお休みされましたが、残った精鋭9人で勉強会を楽しみました。少しばかり時間に余裕も出来、公一さんから何か説明をされていましたが、残念ながら聞き漏らしてしまいました。お馴染みの「3分間スピーチ」でも開催されるかな、と一瞬思い、番が来たら↑の話をしようかな、と思っていましたが公一さんの「将棋」の話で盛り上がり、それでよかったなと思いました。それにしても女性軍からの将棋の突込みには、びっくりポン(もう古い)でした。

     長い間のコロナ禍の影響で、ここ数年夏祭りも控え気味でしたが、幸田町を挟んで7月終りの蒲郡まつり、8月初めは西隣の岡崎の花火大会と盛大に夏祭りが開催されました。この幸田町は3月の駅前の大火の影がまだ尾を引いて、とても駅前を歩くことは出来ませんでした。でも今夜の町民会館の丘での「こうた夏まつり」は賑わったようで、打ち上げ花火の音も久しぶりに聞こえて来ました。一歩ずつ前進してきました。

     暑い暑~い、を連発したこの夏でしたが、あと数日もすると「処暑」。心地よい虫の音が聞えてくる秋も、もうすぐそこまで来ているようです。先生はじめ皆さま、これからもお体十分ご自愛くださいますように。では失礼します、おやすみなさい。

  5. 鈴木 順子 on 2022年8月21日 at 12:21 AM :

    てつろうさん、こんばんは
    愛工大名電、よく頑張ってましたよね。
    昨夜、田舎にお礼の電話をかけた時に、従兄の奥さんが、従兄は昼は高校野球、夜はプロ野球と野球三昧だと話します。従兄とはもう10年近くも会っていないのに、テレビにくぎ付けになっている従兄の様子が見えてくるから血のつながりって不思議ですね(笑)
    私も幸田町駅前にお住いの皆さまを見習って、一歩ずつ前進していきます。
    おやすみなさい。

  6. 江畑 哲男 on 2022年8月25日 at 10:30 PM :

    江畑哲男です。
    久々にブログを覗きました。
    そうでしたか。
    看病、介護、看取り、頑張りました。
    お疲れさまでした。
    ご逝去自体は哀しいことですが、「遺された者が精いっぱい元気に生きることが死者に対する最大の供養です」、尊敬する教育者から小生が教わった言葉です。
    少しでもお力になれば、幸いです。

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