こころ
―『定本・吟一句集
川柳的履歴書』を読みなおす―
川柳葦群同人 やまぐち珠美
※ 文中、原則的に敬称略とした。
※ 引用文・歌について旧字、歴史的仮名遣いはそのままとした。
※ 年号・数字表記は統一した。
※ 引用句下部の頁数は右の『定本・吟一句集』のものである。
1
「あれが岸本水府やで」
と河野春三が指さした先に遠く、だが恰幅よく、鷹揚さを全身に輝かせた水府が、一九五七年深秋の番傘本社句会で講話をしていた。春三の隣には横浜から会社の転勤で大阪へ赴いた瀬々倉卓冶 (尋海)氏。当時二七歳。春三の『天馬』(天馬編集所)同人となる氏は、春三と連れ立ってこの句会に参加した。氏は横浜川柳社(現在の川柳路吟社)で、この時すでに中野懐窓という生涯の師を得、中村冨二・金子勘九郎という知己を持つ詩性川柳作家である。この時の水府の姿と、体躯小さな春三の仏頂面とをはっきりと覚えていて、詳しく後進に語ってくれる。
河野春三は水府に二度、就職を世話してもらっている。川柳もいっときは番傘に所属しながら句調は番傘をはるかに離れていき、この時すでに革新川柳を関西から起こして「西の春三・東の冨二」と言われていた。
まだ少年だったころの水府の子息を、春三は
「吟ちゃん」
と呼んだ。
岸本吟一(一九二〇~二〇〇七)は、少年期に見た、春三の、水府への異質なまなざしを後年「怖れ」と指摘した。その「伝統川柳を睨む眼」を吟一は体感し、覚えていた。(『川柳ジャーナル別冊 河野春三特集号 一九七二)
この慧眼の少年を『定本・吟一句集 川柳的履歴書』(発行 東京みなと番傘川柳会 二〇〇四年)のとびらに写真で見ることができる。いかにも利発な吟一少年である。
句集五頁、
夕映えて阿呆は今日も木にのぼる
から一四頁
少女家出 冬鎌倉の波がしら
までは、『河童』(番傘河童倶楽部 一九四九年)に収められた吟一の「迷走」五〇句より四五句を、改訂も含め転載したものである。『河童』は吟一にとって、番傘の内においても外においても重要な出発点となった。
まずその四五句から抜粋し、その世界を覗こう。
「夕映えて…」は吟一の代表句として挙げられる。これは実際見た風景を率直に詠んだもの、と後に吟一は語った。しかしこの「阿呆」こそが、ひるがえって己である、と句趣を後進に語ってくれている。この句の命はその二重性にある。
雪に死ぬとき乳房に似たる山ありき (六頁)
知の破綻 解せし人はひとの妻 (一〇頁)
砂漠空に 悲恋は海に連らなりて ( 〃 )
襟よごれ青年夢をこころざす (一二頁)
この時点で吟一の志した川柳とは何か。『河童』一頁、「川柳要素の現代性―走り書き―」の中に「河童倶楽部といふグループは、傳統的な川柳(本格川柳と言ひ換へても大差ないと思ふ)に對して、明らかに反逆して来ました。」と言い、現代性を考えない「人間諷詠」は「空念佛」であると吟一は説いている。
しかし、この表明はこうも取れる。
吟一は安心して―反逆できる―場を選んだ。水府の容認、あるいは黙認の内に『河童』はあった。番傘と決別した上での革新ではなかった。
だが、それは正しい判断だ。その存在は賛否を呼び衆目を集めるのにふさわしい場となったからである。
川柳において、吟一は常に水府の掌の中にあった。
2
吟一の『河童』・「迷走」の中に、いつもひやりとたたずんでしまう句がある。
あるときは人の鞄を切るこころ (一三頁)
右の句に、水府は激怒したという。
「人の鞄を切る!やめてくれ!」
水府の奨める本格川柳・人間諷詠に、切り立った描写は受け入れ難いものだった。
では、この前衛短歌はどうだろう。
馬を洗はば馬のたましひ冱ゆるまで
人戀はば人あやむるこころ
塚本邦雄の一首である。(『感幻楽』 一九六九年)人をあやめるほど突きつめていく徹底した献身のこころ。
水府が怒ったのは、吟一がそういう心情と対極にあったからであろう。
「仕事も恋愛も、つぶすかつぶされるか、だ」
常々吟一がそう語っていた心得を苦く思う。
恋は舐め合う 愛は二人をすりつぶす (二五頁)
映画製作者の、見た目の華やかさとは逆の激務は、吟一著『銀幕の影―映画プロデューサーの交遊記』(葉文館出版 一九九九年 西日本新聞掲載時は「銀幕(スクリーン)の影 夢工場のうらばなし」)に詳しい。夢工場の虚々実々が生業である。
だからこそ「鞄を切る…」の句で激怒する水府にいま伝えたい。映画の世界ではなく『川柳的履歴書』は、こころの矛盾でさえ、吟一の句境の真実があってよいのだと。
実際、この句集を流れる豊潤な色彩は、都会的な光と埃とともに、男がいかに淋しく愛を乞うているか、その陰の色をも映し出す。
愛脆し アスパラガスが崩れ出す (六一頁)
ブランコ揺れのこる大人は去った (五三頁)
一人は二人に 二人は独りになりたがる(一五七頁)
繃帯を結ぶとき 独りだなとおもう (一八三頁)
身を削ぐ思いを句へ吐露する吟一が机に向かって座す。
机に…だろうか。
いや、晩年、少年のこころを膨らませて、川柳に、水府に真向かっていくのである。
3
どの声も こわれて入る耳となる (一七三頁)
晩年の吟一は水府の川柳理念を公へ語ることに徹した。そして晩年の句の自由さよ。
青春遥かなり 指輪がゆるむ (一六二頁)
毒もって美味い魚が人に似る (一六七頁)
窓明かりがものを言う おやすみなさい( 〃 )
カレンダーあっという間の一枚でした (一七五頁)
想うことあり 象は自分で沼へゆく (一八三頁)
水府の掌に在る己を認め、肩の力の抜けた姿が思い出されてならない。
水府の思い出と限らず、叔父・近江砂人について、砂人の短歌の師・吉井勇との交流について、番組制作から更に親しんだ会津八一の書と歌について、水府と訪ねた谷崎潤一郎宅について…。
たくさんの川柳的逸話や、映画のきらびやかな話題を後進に授けてくれた。
最晩年、病床でのメモ書きにこんなことを記している。
小学校の国語の教科書に載った水府の句、
なわとびを呼ぶとなわとびして帰り
その返句を吟一がメモに詠む。
縄跳びやめて来いと水府が呼んでいる
「水府が呼んでいる」を迷って
縄跳びやめて来いと水府は言うけれど
と書き添えている。
後の句が、よい。「迷走」がある。吟一そのものがいる。
東京みなと番傘同人・俳優の加地健太郎氏が病室を訪ねると、川柳に厳しく、褒めたことのない吟一が
「君の句はよくなったね」
と柔和に言った。
その三か月後、吟一は鬼籍に入った。
敬愛してやまない吉井勇の手紙から名刺の「岸本吟一」の文字をとった、と語る在りし日の貌は、しわくちゃだが、つるりとした少年の輝きだった。その名刺が手元に残る。
川柳は文学となり得るか。その橋渡しができる唯一の人だったと、今、吟一をおもう。
純真で、孤独で、豊かな吟一のこころを、これを書く私も、両てのひらいっぱいに、もらっていたのである。
了
ご協力くださった全ての方に深く感謝いたします。
珠美さん玉稿を有り難うございました。語ることで供養になる…「吟一供養」の言葉を忘れません。
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順子様 拙稿を
掲載いただき、本当にありがとうございました。
また皆様にお会いできます日を、鶴首しております。
どうかご自愛ください。 珠美拝
珠美さん、
今朝は早起きして、完読をしてなかった「定本・吟一句集 川柳的履歴書」を読んでいます。
ありがとうございました。
やまぐち珠美さんの吟一論興味深く読みました。また加藤鰹さんの身体が心配です。情報ありがとうございました。
誠さん、って番傘川柳本社副幹事長になられた方を呼んでいいのかしらん?
でも、呼ばせてください。
コメントありがとうございます。嬉しかったです。これも珠美さんのお陰かな(感謝!)
来年2月14日「一新豊橋番傘川柳会 10年の集い」の選者のこと、宜しくお願いいたします。
ま~・・長い文をUPいたしましたね~・・暇なの? へっへっへ!
信ちゃ~ん、
ということは最後まで読んで下さったのね、有り難う(*^_^*)
信ちゃん、愛しの君(今では死語だね)が、階段を後2、3段残したところで足を踏み外しちゃいました。
右側背中をよほどひどく打ったらしく、縦にかすり傷になってて、ヒビが入っているって言われたとか。
お陰で私は、今朝、ウン?年ぶりに生ごみ出しをしました(笑)
愛しの君は、大丈夫?
ヒビが入ってるとちょっと長引くかなぁ?大事にしてあげてください。
社長業も大変でしょうが主婦業も頑張ってやってちょうよ。
あれっ~~愛しの君がとんだ大けがで大変ね。痛かったことでしょう、お大事にしてくださいね。
ゴミ出しひとつにしても、日常のちょっとしたことが狂うわよね。無理なさいませんように。
お忙しいのに長文を書き、感銘しております。
祥司さん、なごみさん、おはようございます。
ずいぶんと夫に主婦業を譲渡しいてたな、と思いながら、今のところ久しぶりの主婦を楽しんでいます。
珠美さんのお蔭で、「定本・吟一句集 川柳的履歴書」を完読し、
「川柳史探訪 場長さ川柳本社創立六十五年記念」のDVDを2回見ました。
DVDは、105年かの時にもらったような…? ? ? (情けない記憶力)
今日のめいばんさんの作句に、9月15日の講演のことに、9日の本郷川柳会の資料作りにと気がかりを抱えているのに、
「読め、読め、観れ、観れ」のささやきが消えてくれなかったはずです。
「川柳史探訪」には、9月15日用に作った資料に肉付けして語れるようなことがいっぱい…ラッキーったらありゃしない。
家事その他をささささささっと片付けて、めいばんへ出席します。
晩御飯のことがあるので反省会はあきらめんといかんかも…シュン!
珠美様へ
お元気ですか。珠美さんからこの論稿を読むように言われていましたが、しばらく体調がもどらず、やっと本日(9月12日)読みました。珠美さんの文調は通常のレポート文とは違い
いつも蜃気楼を感じます。たぶんファンの方も多いことでしょう。ひょっとすると、珠美さんは小説家にも向いているように思えます。
今私の手元に東野大八著/田辺聖子監修・編『川柳の群像 明治・大正・昭和の川柳作家100人』(集英社 2004年出版)がありますが、珠美さんにもこのような本を今後書いてくだされば、川柳界にも大きな財産になるのではないでしょうか。
川柳界も実作だけでなくきちんとした研究・評論も残すことが、川柳が文学界でしかとした地歩を築けることに繋がるものと思います。珠美さんにその一角を是非担ってくださることを期待します。
紫峰さん、お久しぶりです。
8月22日「柳多留250年記念式典句会」へ参加できなかったこと、ごめんなさいね。
6月の千葉大会の時も体調の悪いなかを無理されてたようでしたが、無理が続いているんですね。お大事にしてください。
「蜃気楼」の感想に相槌を打っています。
私は、11日は、日川協常任幹事会(大阪)へ出席しました。
昨日は、名古屋の高校1年生と3年生の孫の文化祭を見に出かけました。
今日の豊橋番傘の月例句会に珠美さん、鰹さんが出席してくれます。
作句時間が欲しい欲しいと思う日々が続いていますが、健康な五体に感謝して恋人「川柳」につくします(笑)