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水川さんに、うちの事務所に2度も来てもらったりしながら無事に校正が終わり
伊藤印刷さんとの打ち合わせも今日の午後一で終わりました。
『自由の広場』のエッセイに戦後70年という事で
昭和4年生まれの善作さんと昭和17年生まれ(?)の哲郎さんが、その時の事や思いを書いてくれました。
二人とも批判や攻撃的な言葉は一切使わず、穏やかな表現のなかに、平和の大切さ、命の尊さが滲む内容です。お楽しみにね♪

哲郎さんは、ラジオにも投稿される方です。
で、豊橋番傘7月に記載したエッセイを披露します。

映画に魅せられた青春の日々       加藤 哲郎
 「中原ひとみ」この人の名前と顔がすっと目の前に浮かんでくる方は、還暦から古希を過ぎた方々ではないかと思う。
昭和三十一年私は中学二年生だった。
テレビはまだそんなに普及しておらず、娯楽の王様といえばラジオか時々回ってくる巡回映画だった。
 ある日、出来たばかりの小学校の体育館に巡回映画がやってきた。
映画の題名は「こぶしの花の咲く頃」。
内容はよく覚えていないが主演は美しい中原ひとみさんであった。
愛くるしい瞳、バンビの愛称もぴったりだった。
映画の筋書きなどはどうでもよく、スクリーンに映し出される中原さんの顔ばかり見つめ胸をキュンキュンさせていた。
姉の購読していた雑誌「平凡」に載る中原さんの写真を切り抜きお守りのように学校へ持って行く。
授業中でも教科書の中にはさんで写真ばかり見つめていた。
これが私の少し遅い思春期の到来であった。
 それから二年が経ち高校へ入学した。
学校生活にも慣れた頃、映画館で文部省選定などの映画が上映されると学校から学生割引の券が発行された。
「つづり方兄妹」や「無法松の一生」等、多くの映画を見た。
その中でも忘れられない映画「野を駈ける少女」が記憶に残る。名前は「桑野みゆき」。
世の中にこれほどまで心を引きつけられる女性がいるのか、と思うくらい夢中になった。
相手役の山本豊三がうらめしくて私が代りにやりたくなるほどしびれてしまった。
まさに青春まっ盛り。ちょうど私たちと同年代、それだけにとても親近感が感じられた。
クラスにこんな人がいたら高校生活がどんなにか楽しかっただろう、と心底思ったものだ。
 昭和三十四年四月、皇太子殿下ご成婚を機にテレビは一気に普及し、東京五輪開催の頃にはどこの家でも見られるまでになった。
しかし映画界の方は時代の波に抗し切れず斜陽の一途を辿る。
どこの町にもあった映画館もいつしか消えて無くなり寂しさをかこつばかりだ。
 強烈に私の胸を揺さぶった中原ひとみさんと桑野みゆきさん、お二人にはスクリーンの中でしかお会い出来なかったが、私には掛け替えのない青春の一ページを飾って下さった。
あれから数多くの映画を見たが、お二人を越えるような方にはお会い出来ていない。

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