2月号の編集をしながら、自分は取り返しのつかないことをするところだったと反省しています。
蒲郡川柳会の句会入選全句を「川柳豊橋番傘」に載せ(紙面掲載費は頂く)、蒲郡川柳会会報を作るのはやめたいと思っていました。
でも、2月号を編集をしていくうちに、私は自分の忙しさばかりを考え、判断力を失っていたことに気付きました。
「川柳豊橋番傘」誌には、御津と本郷のように、講師選だけを載せることにし、どんなに忙しくても、『蒲郡川柳会会報」を1号から発行しなければいけない。
いずれは、行政の力も借りれるような芽を育てなければいけない。
講演会の後や、教室の後のアンケートに、「豊橋番傘の支部でもいいから蒲郡に川柳会を作りたい‥」もあったので楽な方へと流れてしまっていた‥。
『蒲郡市』にある川柳会ということを第一義に考えるべきだと、反省しました。
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順子さん そうだよね。蒲郡は蒲郡だよね。
きっと図書館さんが応援してくれると思うよ。行政が「川柳会」を持っているところって全国にないんじゃない? 実現したら凄いことになるだろうね。川柳発展のために頑張れ順子!
こんばんは。
そうですよね、蒲郡は蒲郡ですよね。
リーダーはときに迷いますよね。判断も曇りがちになりますよね。
いろいろ相談できるチャンネルを持ちながら、
また、図書館さんといろいろ相談しながら、地道に頑張ってください。
祥司さんのいうとおり応援してくれるとおもいます。
それと、曽田糾葉さんの句碑が豊川にあったんですね。
新生豊番の句会が本郷地区市民館であった時、初めて糾葉さんにお会いして、それが最期になりました。あのときは田中新一主幹(当時幹事長)にもお越しいただきました。
鮮明に記憶しています。