昨日の午後5時過ぎに、伊藤印刷さんから「9月号の製本が出来ました」の電話を頂く。
夕餉を済ましてから、発送準備にかかる。
餃子パーティに出かけていた菜穂が日付けが変わる頃に帰宅。クロネコシール貼りを手伝ってくれる。
その後、二人でお喋りをしてAM2時過ぎに就寝。
電話が鳴る。
びっくりして飛び起きて受話器を取ると、「鈴木さんのお宅ですか」 「はい」 「順子さん、縣だけど」 「さだ彦さんとこ、私、昨日から、さだ彦さんのこと思ってて、今日、電話を掛けようと思ってた、さだ彦さん、どうしてる?」 「順子さん、うちお父さん亡くなった」 「何、それどういうこと」 「今日の10時が告別式、来てくれる?」 「行くわよ」 「でも、順子さん無理せんでもいいからね」 「無理なんかしてない、行く、行くわよ」と言って、電話を切り、時計を見ると、なんと6時半。しまった!朝寝したぁ。
慌ててリビングへ。もう夫は犬の散歩から帰って来てる。さだ彦さんの事を話すと「三ケ日の人か?」 去年の6月頃、夫と見舞いに行ったので覚えてくれていて、 「葬式に行ってやれ、それから会社に来ればいい」 「ありがとう」
水川さんへ電話。「二三日うちに、行ってやらんと(見舞い)いかんなぁ、と思ってたとこだった。呼んだらなぁ。だけど、今日は9時に病院に行く事になってる」
急なことなので、私一人でお別れに行って来ました。
確か、脳梗塞で倒れたのが去年の5月16日だったと思う。菜穂の通学の道筋にある病院に入院してた時には、菜穂も立ち寄ったりしたこともあって、私達の家族には思い出が多すぎる。
最後の見舞いの時には、「足が痛くてたまらん」と言いながら、身内のお医者さんが見舞いに来てくれるのを待っている様子だった、さだ彦さん。
奥さんが、喪主さんのお礼の挨拶で「痛い、痛い、と苦しんでいたので‥」と話されて。
今は、お疲れ様 の言葉しか浮かばないです。どうぞ、安らかに。
さだ彦さん、いろいろとありがとうございました。
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なんでや。一本電話くれればいいのに。
残念やけど、さだ彦さんの冥福を祈り、家の仏壇から線香をあげさせてもらいました。だんだんと豊番の大先輩が鬼籍に入られる。
はたして自分には何ができるか?自問がつづく。
順子さんごめん。僕のケータイにカミさんの留守電が入っていた。
大事な電話なのに無視していた僕が悪かった。
もう一日時間があればお葬式に参列できたのに。
九月の句会はさだ彦さんを偲ぶ会にしましょう。
閑雲さん、ごめんよ。
水川さんへ電話を掛けてから、閑雲さんところへ電話をしたら、奥様が出られて、「ほんの少し前に出勤したところです」とのことでした。
すみませんが、連絡網にそっての、電話連絡[さだ彦さんが亡くなられました。9月8日の句会の折に、さだ彦さんへの追悼句を作ってきてください]をお願いしました。
「闘い切った貌にただただ手を合わす」 今の私の心境です。
順子さん
「川柳マガジン」見ました。がんばってますね。愚息の句採って頂いてありがとう。
お互い忙しいけど、なんでもやれること、してくれと言われることはやっていきましょうね。
さだ彦さん、残念です。ご冥福をお祈りいたします。
たかこさん、
真実は何も語れぬ汚染水 青砥英規
この句は私一人しか選ばなかったけど、共感出来る句に会えて嬉しかったです。
テレビで放映されてる円形の汚染水を入れるタンクを製作してるのを身近に見てます。
あの急場を何とかしなければと、タンク製作に必死だった人の気持がわかるところに居ます。
あの時はあれで一生懸命だったのよ。「汚染水」自身も裏方さん達も言うに言えない無念さをかかえている‥‥。
「セシウムの向うは見えぬことにする」とは、タンク製作をしている現場は、決して思ってなくて‥頑張ってます‥。
さだ彦さんは81歳でした。
昭和6年11月3日、宮沢賢治が「雨にも負けず 風にも負けず‥」を作った日に生まれた事を、誇らしく嬉しそうに語っていました。
順子さん
縣さだ彦さんのご冥福を祈ります。個人的な付き合いはありませんでしたが、以前めいばんにも来られて、席題の選をしていただいたりしていました。私も2年前脳梗塞で入院しましたので、脳梗塞と聞くとつい緊張してしまいます。先輩がだんだん鬼籍にはいられ淋しくなりますね。
正司さん、
さだ彦さんは、愛知大学を卒業されてから、豊橋の花園通りにある呉服屋さん(親戚)で、倒れる前日まで現役でした。
ずっと経理を担当されていたと昨日聞きました。
3年前だったか、4年前だったか忘れたけど、大切な息子さんを蜘蛛膜下出血で亡くされてからの力落としといったらなかったです。
さだ彦さん自身から聞いたんですが、息子さんのお墓へ行って、「なんで俺をおいて逝ったんだ」と言いながらお酒を飲んだりしていたそうで‥。
昨日、呉服屋さんの奥さんが、さだ彦さんの机の引き出しに残っていたのかな?、息子さんを亡くされた時の辛い心情を詠んだ川柳5句が書いているメモ用紙を持って来てくれたとかで。
さだ彦さんの奥さんが私に見せてくれました。
私には羨ましくらい快適そうに見えた介護ホームから、病院に変わられてからの、病との闘いが壮絶だったようです。
さだ彦さんと一緒にめいばんに行く電車の中で、さだ彦さんは水筒に入れてきた焼酎を飲み、金山駅に着く頃に飲み終る、それを二人で笑いあったりした日などを思い出しています。