昨日は、昭和20年豊川海軍工廠が爆撃に遭った日でした。
熊谷組豊川工場の時代には、工場の中へ慰霊塔(作業事故で亡くなった方も慰めています)があり、豊川海軍工廠で働いていた女性たちが花束を持って来て、セグメントの上に置かれて帰えられたり(多分、働いていた場所なのかも)もしていました。工場の中では、いつでもお参りができないからとの要望があったりしたとかで、今では、工場からちょこっと離れた所に移されています。毎年、立派な祭壇とお供え物をし、豊川稲荷さんからお坊さんに来ていただき、元請の部長以上と下請けの社長等でお祈りをします。工場の中でもサイレンが鳴り黙祷をします。大勢の御霊に見守られて仕事をさせてもらっていることに感謝をする日です。父が、「亡くなった人の御霊があるから立ち小便をしちゃならん」と言ってたことを思い出しました。
今日は、お寺さんのお施餓鬼と本郷教室が重なりました。本郷教室に向かう道すがらにお寺があるので、早めに出掛け、お墓参りとお塔婆の事を済ませる予定。そして、帰りにお塔婆をお墓へ、の予定。
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8月7日は毎年慰霊供養の会を催しています。
中学生で学徒動員とか、軍からのお達しで徴用されて豊川海軍工廠で
働いていました、米軍の爆撃により多くの死者がでました。
同級生の中でも犠牲者がでました。
派手なことはできなくてもみんなが集って思い出話をすることが
供養になっていると思っています。
姫街道を国府に向って行く道中(八幡)にある永昌寺、今では尼寺だったことをPRにしている、その寺の尼さまだった人が姑のおばさんにあたる人で、田原から海軍工廠へ働きに来ていた姑の弟妹たちは時々泊めてもらったりしてたそうです。8月7日、姑の妹さんはちょうど仕事がお休みでお寺に居て助かったなんて話をしてました。
確か、水川さんもお休みだったと聞いたような??