この4月から福島へ移住した前川氏について
来年(平成27年1月)は神戸淡路大震災から20年になる。フクシマは3年経ったが未だに問題山積である。自身も神戸での被災経験者であり、福島の復興に長い間かかわってきた教諭が4月からフクシマへの移住を決意した。以下は、それに関する読売新聞の記事である。
復興へ 今こそ学べ 「阪神」経験の元灘中・灘高教諭
福島移住、高校生支援へ
神戸市東灘区の私立灘中学・高校で教諭だった前川直哉さん(37)が今月、東日本大震災の被災地・福島市へ移住し、高校生たちの学習や社会活動を支援する団体を設立した。高校生当時、阪神大霞災に遭って学ぶ意欲を失いかけたとき、教諭たちの言葉に救われた。東北の復興の担い手を育てるため、この教えを被災地の若者にも伝えたいという。「今こそ、学べ」――。 (黒川絵理)
兵庫県尼崎市に住んでいた灘高3年の時、阪神大震災を経験した。家族は無事だったが、両親が経営する喫茶店は半壊。学校は遺体安置所や避難所になった。大学受験を控えていたが、「こんな状況で勉強していいのか」と諦めかけた。
だが、休校中の学校を訪れたとき、担任教諭らから声を掛けられた。「神戸の復興のため、君たちは今こそ学ばなければならない」
自宅が壊れていても、教諭たちは自らの被災を□にせず避難所の運営を手伝い、街では食料配給など多くのボランティアが被災者のために活動していた。「自分のためでなく、社会の役に立つために学ぶ」。彼らの姿にそう教えられた。
その春、東京大に合格。2004年、日本史担当として母校に戻った。12年には、東日本大震災で被災した岩手、宮城、福島3県で、灘中高の生徒ちとともにボランティアや被災者と交流する合宿を始め、がれきの撤去などに協力。これまで計10回150人以上の生徒を引率した。
東北でも、誰かのために懸命に働く人たちに心を動かされた。自治体職員、医療関係者、放射能除染のボランティア……。「復興は地域の人材にかかっている」と確信した。「被災地の教育に関わり、復興の担い手を育てたい」。今年3月末で退職し、福島へ転居した。
被災地では、地元の高校生たちが、原発事故の風評被害に苦しむ温泉街の誘客プラン作成、低線量放射線の影響調査など、多岐にわたって社会活動に励む。
「これらの取り組みを活発化させることが、復興のための人材育成につながる」。前川さんはそう考え、知り合いの大学教授や被災企業の社長らと「ふくしま学びのネットワーク」を設立。優れた活動を表彰するコンテストを企画し、6月にも募集を始める。
この春まで灘校で同僚であった前川氏は、在任中から生徒たちに深く信頼され、影響力の大きな人であった。今後も多くの人たちと福島の復興に深く関わっていく人であろうことを頼もしく思う。
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お邪魔します。
前川さんの様に若い人達が体を張って被災地の支援をする事は被災地の人達にとって大いなる力になる事と信じています。
ネットワークを通じて「ふくしま学びのネットワーク」注視していきたいと思います。
情報有難うございます。
おはようございます。はじめまして。
前川直哉先生の英断に深い敬意を覚えます。日本の底力を感じます。福島を愛し育ててきた一県民として涙が溢れます。
「美味しんぼ」が福島の湖に石を投げいれました。が、福島には福島を立ち上がらせたいと必死に取り組んでいる多くの人たちがいます。「福島を逃げ出すのも勇気(福島大学准教授)」もいいでしょうが「福島に移住してまでして福島に立ち向かう」前川先生の勇気は何万倍の価値あることと思います。
福島に限らず問題の地を住むに値せずと切り捨てるのは狭い日本の大損失。福島にも沢山の人材がいるはずです。余生短い私ですが古里再生の意欲が前川先生に後押し頂きました。
こいしさん。ありがとうございます。
春の小川 フナもメダカも逃げません
心温まるメールをありがとうございました。ウチの学校の他の教諭や生徒だけでなく、活動に共感して協力してくださる方も多いのです。前川氏にもこのお言葉はお伝えしたいと思います。
フクシマが真の福島に戻り発展するまで、福島の皆さんはもちろん全国の力を集結していきたいものです。ありがとうございました。
人間ばかりは逃げることもできましょうが、お言葉どおり、
春の小川フナもメダカも逃げません ね。
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