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思いの深さ、言葉の重さ

 川柳を詠む場合、それぞれの思いを五七五の言葉に紡ぐ際に、思いの表出と言葉に表現する難しさについて皆経験するのですが、そこらあたりについて考えさせられた講演がありました。それは、昨年夏に大阪で行われた鷲田清一先生の言葉の問題についての講演ですが、その筆記をもとに引用させていただきます。先生はかつて大阪大学の総長であり、哲学者として数々の著書があり、ご存じの方も多いと思います。演題は、『滑る言葉・ざらつく言葉』、副題は『語ることのむずかしさについて』です。

言葉ということを考える時に、東日本の、東北の震災と復興のプロセスを思い出さずにはいられません。私自身も総長の任期の最後の年に震災が起こり、二週間後に学生、院生の前で卒業式の式辞を読まなければなりませんでした。その時点で、しかし、この震災についてどう向き合うのかについては、語りかけなければならないということで、どういう言葉を発したらいいのか、と迷いました。多くの人たちも同じで、一番最初に多くあらわれた言葉は「私達にできること」という言葉でした。「私達にできること」という言葉を多くの方々が口にされました。

被災の状況が露わになってくると、今度は「頑張れ東北」という言葉の合唱になりました。それから半年、あるいは一年と、時間が少しずつ進んでいく中で、「頑張れ」という言葉が被災地の人々を支える言葉ではなくって、傷つける言葉になっていきました。被災地で自分たちが、暮らしを立て直すという希望や可能性が限られている、あるいはほとんどない、ということが場所によっては露わになってきました。賠償、支援活動を巡って、地域ごとの、階層ごとの格差というのもふくらんでいって「被災地の人々」という一語ですべての人のことを語るということが罪深いことになってきました。特に福島では、ご家族が引き裂かれる、解体されるという状況が出てきました。もう何というか、頑張り尽くした、頑張り尽くして最後にこういう状況をいやでも受け入れざるを得ない、あるいは追い詰められて、押し返せないという状況の中で、「頑張れ」「頑張ってください」と言われると、返す言葉がない。なくなってきますよね。「もう充分頑張りました。これ以上、何を頑張れっていうんですか」という思いが喉元までぐっと上がってきて、けれども、先に「頑張ってくださいね」つて言われると何も言えないっていう。「頑張れ」って言われるのが、何より辛い、しんどい、あるいは腹立たしい、という風に反応せざるを得ないような状況になっていったと思います。「大丈夫ですか」とか、「お気持ちお察しします、わかります」あるいは「何をおっしゃっていただいてもいいんですよ、聞きます。どうぞお話しください」なんて言われると、「本当に言っていいんですか、どうなるか知りませんよ、本当のことを言ったら」という思いすら出てきていたと、思います。

年末には「絆」という言葉が新聞やテレビでばらまかれていました。あの言葉も傷つける言葉になったと思います。だって絆なんてものがぶっちぎられたということでずっと苦しんでいる人が今更ながらに「絆」などと言われたら、どう思われるか、ということですよね。「絆」という言葉を発した人は、被災地から遠く離れたところで、そして自分に何もできないことの、何かこう、反動みたいな感じで言われている、そんな言葉に響いたかも知れません。

どの時点で、どの場所から、誰が発しているかによって、支える言葉になったり、傷つける言葉になったりするように思います。

この一年半の中で、胸がいっぱいになってしまった言葉に、こういう言葉があります。小学生の言葉で、福島の子なんですが、お父さんは福島を離れない、お母さんはこの子のために疎開する、ということで家族が引き裂かれている方で、京都に疎開してこられたのです。ミニドキュメンタリーでその子を撮っていまして、どこかのNPOか、教育委員会が立ち上げて、離れ離れになった福島の子どもたちを、会わせてあげようと、この夏休みに全国何か所かで、クラスメートが会うという催しがありました。

 その子もクラスメートと奈良で会ったのです。最後のところで、その小学生の女子の二人にマイクを向けた時に、カメラに向かって大きな声でにこにこしながら言った言葉、この言葉が強烈でした。「福島ごと引っ越したい」。これは大人は絶対に口にしない言葉ですね。でも子どもにしたら、それしか解決はないんですね。福島のコミュニティー、自分がいた地域での暮らし、あの子との暮らし、あのおじいちゃん、おばあちゃんとの暮らし、そういうものが自分にとってどれだけ大事か。でも、自分たちは安全のために福島の場所を離れないといけないし、現に離れている。そんな中で、皆と一緒にいたいのに、福島にいられない。二ついっぺんに実現しようと思ったら、福島ごと引っ越すしかない。子どもの想像力でしか絶対にロにできないことです。私もそんな可能性を考えもしていなかった時に、子どもが大きな声でにこにこして、「福島ごと引っ越したい!」とカメラに向かって言った時、胸がつまりました。

 もうひとつ、私の胸に迫ってきた言葉があります。去年の九月から今年の三月まで『カーネーション』という朝の連続テレビドラマがありました。コシノヒロコさん、ミチコさん、ジュンコさん、三姉妹のそのお母さんの生涯を描いたものです。一九四五年八月十五

日、玉音放送に皆耳をそばだてます。年配の男たちは、信じられない、そんなことありえん、ということでガーッときて泣いたりしているし、子どもたち、若い人たちは、大人の反応をみて、ウワーッと慟哭している。そんな中で、主人公のイトコが、放送が終わって、

一呼吸おいてから、スッと立ち上がって、皆に呼び掛けるんです。「さ、お昼にしよけ。」このセリフ、すごいな、と思いました。

 国民のほとんどが、国が敗れた、そんなことはありえないと思った。悔しいというのではなく、恐ろしいと思った、と思います。戦争に負けると、国が潰されるか、この場所から追い出されるか、あるいは噂にあったように、女、子どもは虐待される、凌辱される。

そう思い込んでいる人たちが多かったと思います。多くの人は、この国がなくなるということ、この国にいられなくなるということを想定しないで生きていた。だから、日本という国の中で、脱落しないこと、生き残ることを思って頑張ってきたし、子どもにお尻叩いて、落ちこぼれになったらアカンぞ、勝ち残れという風に教育も皆熱心にやってきたのです。そんな中でイトコは国がなくなるということも想定している。私たち日本人がいられなくなるということもあり得る、そういういわゆるカタストロフィー、破局があり得る、

ということを前提にして、それでも生き延びるために、どうしてもしなければならないこと、それは、身体を損なわないこと、健康で明日も生き続けられるだけの体力を持つこと、つまりちゃんと食べること、このことが彼女の頭に一番に残っていたということですね。これ、重いセリフだ思います。「さ、お昼にしよけ。」

日本では国がなくなるということが想定しにくいのですけれども、地続きにいろんな国がなっているところは、戦争の時には、必ずそのことを想定するわけです。ヨーロッパは実際にそういう歴史を何度も経験しています。自分たちの国がなくなる、自分たちが追い出される経験。そうするとですね、追い出されても生き延びていくために一番大事なことは、知識を持っていることよりも、何でも食べられることと、どこでも寝られること、誰とでも友達になれることです。それなんです、イトコの「さ、お昼にしよけ。」というのは。

こういうことが一番大事で、教育は、もう一回その一番大事なところに、人を育てることに、帰らないといけないという、強烈なメツセージなのです。これが、なぜあれだけの視聴率を稼いだかというと、まさにそれは被災地の避難所で起こっていたことだからです。何ヵ月も、場合によっては一年も、避難所あるいは仮設で暮らす、そこでつぶれないため、倒れないためにはまず何でも食べられないといけないのです。体育館の床が硬いから、眠れないなんていったら、身がもたない。知らない人が横にいるから寝られない、なんて言ったら、避難所の生活はできないのです。まわりの子どもがうるさいとか、あの人とどうしてもソリが合わんとか言っていたら、あの閉じた空間の中で生き延びることは、できないのです。あのドラマを見ているときには、ああ、避難所がまさに今それなんだということとダブルイメージで見ていたので、多くの人があの番組に吸い寄せられていったのは、そういう理由もあったと思います。言葉が状況によってどんなふうに意味を変えていくのか、そういう強烈な経験をしたのが、この一年半じゃなかったのかと思います。『カーネーション』では、お母さんが、ご主人を、子どもたちを、あるいはおばあちゃんを、落ち込んでいる時、病気になっている時、商売がうまくいかない時、ダメージを受けている時に、いつも愛おしく肩をあるいは背中をなでながら、「しんどいねえ」「悔しいねえ」といって声をかけるシーンが何度も出てきました。これは励ますのでも何でもない、その人が今置かれている状況とその気持ちというものを、とにかく代弁してあげる、なりかわって言ってあげる「しんどいねえ」「悔しいねえ」と。人を支える言葉というのは、その人になりかわって言ってあげることであるということのメッセージとしてあの番組にはあったと私は思っています。

 避難所で信頼をほとんど損なわなかったのは兵庫県の医療チームだと聞いたことがあります。兵庫県の人は、見事に何も言わなかった。何も言わないで、テーブルに水がこぼれていたら、そっと黙ってふいておく、そういうサポート、支援に徹していたそうです。私は少なからぬ避難所で「心のケアお断り」という張り紙がしてあったことに衝撃を受けました。専門家がどんどん入っていったわけですが、とうとう「心のケアお断り」と張り紙をする避難所が出てきた。「聞く」ということの難しさを感じました。さっき言ったように、「何を言っていただいてもいいんですよ」とか、あるいは「お気持ち分かります」という風に、つい言ってしまう、その言葉が、どれだけ相手を追い詰めるかということの結果が、張り紙に無言であらわれされたのではないかと思います。兵庫県の医療チームは、他人の痛みは結局本当に知り尽くすことはできない、同じ思いになることはできないということを、限界があることを知った上で、なおかつ黙って支援した。そういう人たちが信頼を保ち続けていたというのは、言葉の問題を考える時によくわかる感じがします。

 まだまだ続くのですが、自分が川柳を創る際に底の浅い想いを弄してはいないか、安易な言葉遣いをしていないかなどと強く反省いたしました。

 

 

 

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思いと言葉”のコメント欄です

  1. 鈴木順子 on 2013年7月3日 at 6:32 PM :

    請求書に一区切りがついたので、帰宅前に、ブログ散歩を思い立ちました。
    ずっしり重く読みました。
    自分が川柳を創る際に底の浅い想いを弄してはいないか、安易な言葉遣いをしていないか…作句の心得にします。
    日常を顧みる機会になりました。ありがとうございました。。

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