高知県四万十市にある大野内科の小笠原望先生の「四万十に生きる」と題したエッセーが1月30日(月)から毎月第4月曜日に愛媛新聞に掲載されるようになった(写真)。
私が敬愛して止まない望先生のエッセーは朝日新聞のスタイルアサヒにも毎回「診療所の窓辺から」と題して掲載されている。
今回愛媛新聞が加わったことで望先生にお会いできる機会が月2回になった。
在宅医療に取り組まれている先生のエッセーを読むことで命について、四万十の自然について考える機会にしたい。
今日は何の予定もない日。マガジンなどの作句の日とする。
おはようございます。
昨日、いただいた新聞の記事を読み返していました。
「生きることも死ぬことも、自然の中にある。」改めて読むと、この言葉で視線が止まります。本来の人間の姿を、的確に表した言葉です。
人間社会の中に、自然っていっぱいありまが、究極はやはり人間そのものにあるのでしょう。何気に日々を生きていることへの感謝の心を、忘れない様にしようと思います。
早速、ノートと、糊です。ありがとうございました。
今日は、五歳の孫と一日過ごします。昨日、保育園で熱が出てお迎えに行ったものですから、、、朝は、36度台に下がってはいますが、インフルエンザが流行っている様子!!! 今日一日家にいさせ様ということになりました。 「おかあさんといっしょ」「アンパンマン」 ビデオを自分でかけてしっかり見ています。最近のチビどもは、私よりデジタル人間です。参ってしまいます。
冷たそうな一日!!! 家でなんか挑戦しましょうか。
ブナ林などの奥深く入って行くと、そのまま自然と一つになっていく錯覚にとらわれることがあります。
今日は珍しく外出されずに、ベートーベンを聴きながら作句のことと思います。ところでベートーベンはアルコール性肝炎で死亡しました。モーツアルトも15歳から酒に溺れて、二人とも尊厳死ではなかったようです。あのエジソンは84歳で死ぬ時、奥さんの手を握ってモールス信号で別れの言葉を交わしたという伝説があります。
もと「話の特集」の編集長矢崎泰久が何かに書いていました。「病院から入院中の伯父のことで呼び出された。行ってみると看護婦長が私に言うのです「このおじいさんは看護婦のスカートの中に手を入れるのです。迷惑だから注意してください」と。私はその看護婦さんの所へ行って謝りました。そうしたら看護婦さんたちが集まってきて言うのです「私たちはいいの。時々は婦長のスカートにも手を入れてあげてください」それが死ぬ3日前のことだった」
私もこんな尊厳死に憧れます。
永六輔の「大往生」の中に「死にたいように死なせてあげなさい。生きていてよかった。そう思って死ぬこと」が大往生だとありました。
私は尊厳死協会が提唱しているように「人工呼吸器などで必要以上に延命治療をしないように」とリビングウイル(生前の意思表示)を作成しています。
毎日新聞で死亡欄を見ています。気になるのは死因です。一般人の場合は記載がなく、有名人の場合殆どが「心不全」です。しかし死ぬ時は心臓が働かなくなるのは当たり前です。もっと詳しく「肺がんで2年間…」とか「愛人と心中して…」とかあれば、その人の人生を想像してご冥福を祈りたい(できれば線香の1本でも)という気分になります。
役者は「舞台の上で死ねば本望である」といいます。幸恵さんなら「山で死ねば本望」と考えていると思います。繁雄さんなら「ストリップを見ながらコーフンしてショック死」が似合います。
いずれもカッコいい尊厳死です。
私は人知れず誰からも惜しまれず、枯葉のように散りたいと思っています。
遺族の方には申し訳ありませんが私は植村直己さんの最後はあれで良かったと思っています。老衰は植村直己さんには似合いません。
管につながれて生きているだけというのも嫌です。
・見納めは医者の鼻毛の二三本 岡村廣司
これが理想です。
「四万十に生きる」読みました。人それぞれに生き方、考え方がありますが、私も延命はしてほしくない、自然に溶ける様に逝きたいですね。この先生は以前にもこのブログで紹介されてたと思いますが、このような医者が増えると地域医療も変わってくるのではないでしょうか。
大きな病院も必要ですが何でも話せて安らげる診療所もそばにあってほしいものです。次回も読みたいと思います。
ところで、浩吉さんの疲れを一気に取ってくれるコメントは腹の底から笑いが飛び出します。皆さんのコメントも楽しんでおります。
私は毎年、小笠原望先生に会えるのが楽しみで中村の川柳大会に参加しています。
望先生の話には味があります。