札幌市民文芸の集いで、和田由美さんの高倉健を語る講演を聴いた。和田由美さんは「さっぽろ酒場グラフティ」など、いろいろな本を出したり、出版社をやったり、何だかいろんなことをやっている、いわゆるやり手の女性である。以前映画関係の取材とかもやっていたらしい。で、彼女の話によれば、高倉健は映画のイメージから口の重い寡黙な男性と思われているが、すごくお喋りだということだ。お喋りな高倉健なんて余り嬉しくない。別に高倉健のファンではないから、どうでもいいが。大体高倉健の映画は二本ぐらいしか見ていない。「幸福の黄色いハンカチ」と「君よ憤怒の河を渡れ」で、後者の方は多分見たと思うがはっきりしないのだ。肝心の「網走番外地」を始めとする極道ものは全然見ていない。
高倉健の番外地シリーズなんか見た人は、みんな肩を揺すって映画館を出てくるそうだ。その気持ちはよく分かる。映画の主人公に共感し、一体化してしまうのだ。これを聞いて、高瀬霜石さんの川柳を思い出した。
ヒーローの肩幅で出る映画館 霜石
この句から連想したのは、ジョン・ウェインの西部劇だった。アラン・ラッドでもいいけれど、やはりジョン・ウェインだろう。高倉健は全然浮かんで来なかったが、映画を見ていないのだから仕方がない。網走番外地シリーズを見れば、そうなって映画館から出てくるかもしれない。ビデオでは、中々そうはなれない。ちなみに霜石さんは大の映画好きである。
映画のいいところは、見終わっても余韻に浸れるということだろう。ヒーローの肩幅になって出てくる人や、肩を揺すって映画館を出てくる人は、まだ余韻に浸っているわけで、どの映画も余韻に浸れるわけではない。中には見終わってションボリして出てくる映画もあるかもしれないが、そういう映画は流行らないから余りないだろう。泣かす映画が一番困るのである。大体泣く場面というのは終わりごろあるわけで、余韻に浸って泣きながら出て来たら、変な目で見られてしまう。泣くまいとして、画面を見ないで天井を睨むこともあるが、それでは何のために映画を見に来たか分からない。やはりヒーローの肩幅で出る映画がいいようだ。
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ランドルフ・スコット、ジョエルマクリーはB級に有らず、更にケニーダンカンを知らず
西部劇ヒーローを語るべからず。
カークダグラスとかバート・ランカスター・・・・・、まだまだ顔は沢山浮かんでくるけれど、名前が出てこない。ゲーリー・クーパー、ヘンリー・フォンダ、えーと・・。