「この人に聞く」と題して神戸新聞(2012.8.1付)に、100歳の 橋本 武先生に関する次の記事がありました。 先生の紹介のまとめとして載せてみます。
私立灘中・高校の元国語教師 橋本 武さん (自著の「源氏物語」の上巻を持った写真の下の説明書き) ◇はしもと・たけし 1912年生まれ。京都府宮津市出身。 34年に旧制灘中学に国語教師として赴任し、50年間在職。退職後、94歳で「現代語訳源氏物語」を出版するなど活動は衰えない。宝塚歌劇団のファンとしても知られている。教科書の代わりに中勘助(1885~1965)の小説「銀の匙」を3年間かけて読み込む独特の授業で知られる私立灘中・高校(神戸市東灘区)の元国語教師、橋本武さん(100)。退職後も「現代語訳源氏物語」を出版するなど精力的に活動している。ユニークな授業が生まれたきっかけやこれからの目標などを聞いた。 【近藤諭 】
◇灘の教師になったきっかけは。 ◆東京高等師範学校を卒業後、本当は金沢の公立中学に赴任するはずでした。ところが、その中学にはコネで別の人間が入ることになり、行くところがなくなりました。そんなとき「神戸に将来性のある学校がある」と紹介されて灘に来ました。1934年でした。灘は開校間もなく、初代校長が「日本一の学校にする」と話すような学校。授業への干渉は一切ありませんでした。そんな校風だから「銀の匙」も生まれました。
◇銀の匙の授業はいつから始めたのですか。 ◆1950年から始めました。灘では1年生を受け持つと卒業するまで持ち上がりまで担当します。その年の生徒が戦後初めて私か担当した子供たちでした。
◇始めたきっかけは。 ◆戦後しばらくは教科書も薄っぺらで黒塗り部分も多く、とても授業では使えませんでした。私は苦学生だったので学生時代は本を読んでいる暇がなかったのですが、灘に来て銀の匙に出会いました。夏目漱石もほめたという美しい日本語に感動し「銀の匙なら教材に使える」と思いました。
◇苦労した点はありますか。 ◆普通の教科書では指導書がありますが、銀の匙には当然そんなものはありません。授業の下調べに1年間かけ、「銀の匙研究ノート」を作りました。普通の授業なら教師が調べたものを生徒に教えますが、自分の調べた過程を生徒にもやらせようと思いました。ただ、一つの教材なので内容が限られ、知識の範囲が限定されます。そこで少しの手がかりで横道にどんどんそれて行くことにしました。
◇例えばどんなそれ方をするんですか。 ◆食べたことのない飴が出てくると実際に食べさせたり、たこ揚げを一緒にしたこともありました。また、調べたことをガリ版刷りのプリントにまとめて生徒に読ませていました。生徒はおもしろがって自分でも調べてみようという気になります。
◇生徒の反応はどうでしたか。 ◆1年生の最初の授業で国語が好きか嫌いか聞いたことがあります。「好き」は5%。「嫌い」も5%。残りが「どちらでもない」でした。1年後、同じ質問をしました。「嫌い」は5%で変わりませんでしたが、「好き」は95%になっていました。ある時、プリントを抱えて教室に入ると生徒が拍手で迎えてくれました。徹夜でガリ版を切った疲れも吹っ飛びました。「銀の匙」が揺るがないことを確信しました。
◇退職後も源氏物語の現代語訳を出版するなど活躍されています。 ◆80歳を過ぎて大動脈解離、阪神大震災、交通事故と立て続けに起こり、生きているのは神仏祖霊のおかげと思いました。86歳から9年かけ「現代語訳」に取りかかり、94歳で完成しました。美しい日本語を知ってもらいたいとの思いからでした。今の目標は120歳まで生きて大還暦を迎えることです。
なんと素晴らしいではありませんか。どうぞお元気で120歳の大還暦をお迎えありたい。
Loading...

















































ご無沙汰いたしております。
橋本先生の記事のアップ、有難うございます。大変参考になります、というより、素晴らしいの一語ですね。こういう記事こそ、川柳人の皆様にもご紹介したい・知っていただきたい内容ですね。
時流におもねず、浅薄な成果主義に毒されず、それでいて目を見張るような教育効果も挙げている。ただただ尊敬の二文字です。
橋本先生の足元にも及びませんが、昨日は本校の秋休みを活用して、リベラルアーツ講座の一環で、早稲田大学坪内逍遥記念演劇博物館を訪れました。参加生徒(保護者を含めて)は、15名ほどでした。
本リベラルアーツ講座のコンセプトは、「ホンモノに触れさせる」ということです。
ブログのアップ、有難うございました。