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あれから50年。早いものです。
今日は11月25日。
今から50年前の昭和45年(1970)11月25日、作家の三島由紀夫は市ヶ谷の自衛隊駐屯地で自衛隊員に蹶起を呼びかけ、失敗し、割腹自殺をしました。本日は「憂国忌」。三島由紀夫を追悼する人々によって名づけらました。
三島とともに自決したのが「楯の会」学生長・森田必勝(もりた・まさかつ)でした。早稲田大学の現役の学生。今でもその名前を覚えております。
当時小生は、高校3年生。受験を控え、小生の第一志望校が早稲田大学だったということもあって、非常に驚きました。事件発生当日の夕方、夕闇迫る教室でクラスメートと三島の行動と自決について議論した記憶があります(もっとも、何を議論したのか、相手が誰だったか、すっかり忘れてしましましたが)。
『金閣寺』『憂国』『潮騒』などの小説は読んでおりましたが、小説『憂国』さながらのクーデター未遂事件は、高校3年生の小生にとってはあまりにも大きな衝撃でした。
あれから50年。
三島由紀夫や森田必勝たちはいったい何をしようとしたのでしょうか? 当時の小生に分かりませんでした。いやいや、50年後の現在も彼の思想背景が理解できません。(写真は、Nスペ特集の「三島由紀夫」より。)



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没後50年、本日「憂国忌」(三島由紀夫の事件)”にコメントをどうぞ

  1. たむら あきこ たむら あきこ on 2020年11月25日 at 2:44 PM :

    楯の会所属の小賀氏は和歌山の人ですが。
    事件後、法廷で次のように陳述(一部)しておられるのね。
    本日のブログでの疑問へのお答えとして、ご参考まで。

    … いまの世の中を見たとき薄っぺらなことばかり多い。真実を語ることができるのは自分の命をかけた行動しかない。先生からこのような話を聞く以前から自分でもこう考えていた。憲法は占領軍が英文で起草した原案を押しつけたもので欺瞞と偽善にみち、屈辱以外のなにものでもない
    … 日本人の魂を取戻すことができるのではないかと考え行動した。しかし、社会的政治的に効果があるとは思わなかった。三島先生も『多くの人は理解できないだろうが、いま犬死がいちばん必要だということを見せつけてやりたい』と話されていた。われわれは軍国主義者ではない。永遠に続くべき日本の天皇の地位を守るために日本人の意地を見せたのだ…

    • 江畑 哲男 江畑 哲男 on 2020年11月25日 at 6:13 PM :

      小賀正義さん?、和歌山の人だったんですね。
      知りませんでした。
      事件当時22歳。公判以外では沈黙を守っていたとも、聞いております。
      「日本人の魂」がキーワードなんでしょうね。
      有り難うございました。

  2. 闘苦朗 on 2020年11月25日 at 3:51 PM :

    始めてコメントさしていただきます。哲男先生と小生とは同学年です。 三島由紀夫の自決には感慨深い思いを抱いております。学園紛争の最中、我高校でもバリケード封鎖がありました。同級生には中核派、革丸派といました。半世紀も前の話ですのでもしかしたら記憶違いがあるかもしれませんが、中核派の同級生が何処から情報を手に入れたか知りませんが三島由紀夫が自決したと話していました。
    我が高校のバリケード封鎖の新聞を4紙ほど見ました。いい加減な記事でした。
    それ以来、マスコミの記事を鵜呑みにすることはありません。

    • 江畑 哲男 江畑 哲男 on 2020年11月25日 at 6:18 PM :

      おっと、同級生でしたか。それにしては、闘苦朗さんはお若い!
      入学したら、早稲田は革マル派の巣窟でした。
      新聞も週刊誌も、左翼礼賛記事ばかりデシタね。
      小生も高校封鎖を経験しております。
      初コメント、有り難うございました。

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