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好きだった日本史を折りに触れて勉強し直している。おさらいである。モチロン我流の域を出ないが、それでも準専門書は読んでいるつもりだ。
例えば、岸信介内閣。「教科書」で習う範囲ではマイナスの評価しか与えられていないが、どうしてどうして。なかなか厚みのあるしたたかな内閣でもあった。まぁまぁ、「中立」的立場を堅持していると言ってもよい『昭和史講義 戦後篇(下)』(筒井清忠編、ちくま新書)でも、そのような評価を下している。編者の筒井清忠氏は、昭和23年生まれ。第4項「岸内閣の内政と外交」を執筆した城下賢一氏は、昭和50年生まれ。「若い!」とついつい思ってしまうが、こちらが年寄りなだけ。もう、そういう時代なのである。
さて、岸内閣というと世間的には安保改定だけだが、その安保に絞ってもアメリカとの丁々発止は面白かった。
旧安保条約はヒドかった。日本に不利なことが多かった。特に第一条。
在日米軍は「極東における国際の平和と安全に維持に寄与し、並びに、(中略)外部からの武力攻撃に対する日本国の安全に寄与するために使用することができる」と規定されていたのだった。「使用することができる(may be utilized)」とあるだけで、日本防衛が義務にはなっていなかった。さらには、極東の「平和と安全」のためと称する軍事行動に歯止めをかけるための規定もなかった。要するに、占領時の特権をそのまま継続させたものだった(p30)。
岸信介が成そうとしたのは、占領中に調印された不平等で従属的な安保条約がそのまま維持されるのではなく、少しでも対等になるような改定だった。米軍の日本配備と使用に関する事前協議制の導入などの具体的な提案をアイゼンハワー大統領やダレス国務長官に談判していったのだった(p74)。ただし、岸の退陣の仕方はご存知の通り。
40代半ばの筆者は、この項をつぎのようにまとめている。
《事態の悪化により、岸はアイゼンハワー訪日中止を要請し、新安保条約の自然承認をまって総辞職することを決意した。岸が安保改定後に期していた憲法改正や小選挙区制導入は以降の首相に委ねられたが、安全保障問題とともにタブーとなり、長くとりあげられないようになった。》(p81)



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