《李登輝さんの最大の功績は、こうした中華民国的社会、つまり10%そこそこの外省人が、85%の台湾人を支配するいびつな戦後構造を、弾薬ではなく投票用紙を使ってひっくり返したことだ。》
こう寄稿したのは、吉田信行氏(産経新聞元台湾支局長)である(8/1日付け産経紙)。
吉田氏は、今から30年も前(1991年)に新聞社の台北支局長として着任した。当時の台湾の民主化はいつ倒されるか分からない、まだよちよち歩きの状態。世界最長の戒厳令もやっと解除したばかり。
李登輝氏は、蒋経国総統の後を継いで総統に就任したものの、蒋介石夫人の宋美齢はご存命、大陸から逃げ帰って来た軍関係者や政治家、外省人がうじゃうじゃいた、そんな時代だった。
その吉田氏が、李登輝逝去の報に接して、「はっきり中国にモノ言え(李登輝)」をタイトルにして、「日本が教訓とすべき姿勢」を寄稿している。
寄稿の最後には、「千島湖事件」を挙げ李登輝氏の的確な政治判断を称えている。
1994年3月31日に起きた千島湖事件。アレはヒドかった。中国浙江省杭州市淳安県にある千島湖の遊覧船が中国人武装強盗に襲われた事件だ。乗客であった台湾観光客24名と遊覧船乗員6名の30名全員が殺害され、遊覧船はナント放火されてしまった。
当初、地元中国の政府と公安機関が報道管制をした上で(北京政府は今も同じ!)、「処理」をしようとした。その中国側の人権無視、粗雑な事後処理に対して、遺族をはじめとする台湾側が怒りを募らせた。
李登輝総統も怒りの談話を発する。「大陸は文明国家ではない。土匪と同じだ」との激しい談話。その激しさゆえに、台湾内部でもさすがに懸念の声が高まったという。「中国をあんまり刺激しない方がイイのでは?」と。
李登輝氏曰く、「それはダメ。相手に非のあるときはハッキリモノを言う。これが中国人には効くのだ」との一点張り。
その後、北京政府は刑事責任を全面的に認め、李鵬首相(当時)が「犠牲者の遺族にお見舞いと哀悼の意を表明する」との談話が発表された。李登輝氏の読み筋通りの結末を見たのだった。(以上、8/1日付け産経新聞)
はい。吉田氏の指摘するとおり。まさしく、「日本が教訓とすべき姿勢」です。