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販売促進の意味もあって、『ユニークとうかつ類題別秀句集Ⅱ』を時々読み返す。まぁ、これだけの本をよく編集したなと思う自己満足感とともに、収録の講演集も読み返したりしている。
改めて思う。講演「短歌のいまと川柳」(米川千嘉子)、素晴らしい!
近代短歌の近代短歌たる所以が説かれている。正岡子規生誕150年にふさわしい記念出版だった、と自画自賛。以下、その一節だけでもお読みください。
〈……それから千年、正岡子規は一八六七年生まれですから、小野小町から大体千年と言えます。この千年間、さらに今日まで、五七五七七の歌の形は変わらずに続いて来ました。一つの詩型がこれだけの長い間、しかも、かなり多くの作者と読者を維持したまま続いてきたことは、世界でも例がありません。
正岡子規や与謝野鉄幹が現れるまで、小野小町から近代までの千年間は基本的に和歌の情緒的なもの、四季の自然を中心としながらそこに人間の感情が混然一体として優雅に込められる方法で歌は詠み続けられ、一部の上流階級が主に歌を担うという事情は基本的には変わりませんでした。変わらなかったということは、どんどん類型化しどんどん衰退していたと言えるのです。これではいけないというエネルギーが溜まって千年後、明治三十年代ごろから、正岡子規、与謝野鉄幹、与謝野晶子が現れ、近代の短歌が爆発をします。
くれなゐの二尺伸びたる薔薇の芽の針やはらかに春雨のふる      正岡子規
とても有名な歌ですね。美しい自然を詠っているには違いない、しかし、万葉集や古今集にある人麻呂、家持、小野小町の歌とは何か違う。何が違うと思いますか。
正岡子規の自然は、今、彼の目の前にはっきりある自然なのです。伝統的な雪月花でまとめようとする観念的な頭の働き、言葉の働きは無いのです。今、自分の目の前の薔薇の芽が、針のようでしかし柔らかい紅色の芽が春雨に濡れている。子規は今、目の前にある自然を細やかに観察して詠っています。これが近代に現れた写生の立場です。
それまでの和歌の伝統を破ろうとした正岡子規は「古今集は下らない」と「歌詠みに与ふる書」に書きました。これまでの古今集のような観念の世界とは別れよう、古典の歌は一部の貴族の弄びものであり、若い世代が人生のいろいろな波乱を詠い込むことは全く無かった、どちらかと言えば成熟した大人の雅な遊びごとでありました。それに対して正岡子規は、青年、若い人たちの意欲をどんどん盛り込んだ歌を、庶民の誰もが日常の自分を広く表現する歌をと、歌の内容・表現とその担い手の拡大を訴えました。
足立たば北インヂヤのヒマラヤのエヴエレストなる雪食はましも   正岡子規
この歌は阪井久良伎が箱根に行った写真を送ったのに対しての歌です。子規は既に病床にありまして、そんなところへ行ける筈がない、彼は自分の足が丈夫ならどんな所に行けただろうか、ということで、「足立たば」という短歌の連作をしました。この歌は素晴らしいうたであると私は思います。毎日病床にある子規が「北インヂヤのヒマラヤのエヴエレスト」という言葉、地名を歌の中に持って来た、この題材の斬新さ。今見るとたいしたことではありませんが、「花の色はうつりにけりな」の世界が衰退しながらも明治の歌壇にずっと続いていたのです。そんな時にこういう語彙を持ち込んだのです。雪を食いたいというユーモアも楽しいものです、そういう心の健やかさに作者の稀有の大きさを感じてしまいます。先の薔薇の芽の歌も、この歌もどちらも現実、今、私が見ているもの、今、私が考えていること、今の私にきちんと立脚した世界を近代短歌は発見したのです。これが明治の和歌革新の一例です。……〉



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