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坪内逍遙旧居跡

本稿の最終回。(前置きを含めると、今回で4回目)
考えてみれば、激動期の人物は名古屋を含む中京地区から輩出しているんです。この点を「文化のみち」散策で、改めて教えられました。
例えば、加藤清正。清正と言えば反射的に肥後熊本を連想しますが、尾張国中村の出です。元々は、豊臣秀吉子飼いの人物の一人です。
織田信長や徳川家康も広い意味での中京地区の出身。秀吉も含めた3人とその忠臣たちが、「近世」という時代を形作っていったことになるのです。
近代文学という観点から申し上げれば、坪内逍遙と二葉亭四迷を忘れてはなりません。
逍遥は、美濃国加茂郡太田宿(現・岐阜県美濃加茂市)の出身で、少年期を名古屋で過ごしました。
二葉亭四迷は、生まれは江戸市ヶ谷にあった尾張藩上屋敷でしたが、4歳の時に母の実家のある名古屋に移り、漢学やフランス語を学んでおります。後年、四迷は坪内逍遥と交流を結び、そのススメで「小説総論」や「浮雲」を書いて、日本の近代文学の夜明けをもたらしました。
ところで、写真は坪内逍遙旧居跡。名古屋駅から徒歩5分ほどの同市中村名駅三丁目11、にあります。JRセントラルタワーズ方面の改札を出て、そうですね、大名古屋ビルの裏手に当たります(見落としがちな場所!、です)。ここを案内してくれたのが、この石碑建立に尽力をした林 和利名古屋女子大学教授でした。国文祭あいちの帰り、11月20日の夕刻に立ち寄りました。林先生のご専門は、狂言・能の研究です(主な著書に、『人間国宝 野村万作の世界』明治書院、『古今東西 ニッポン見聞録』風媒社ほか)。大学の後輩に当たります。石碑を建てるに当たっての苦労話も、一献傾けながら伺いました。懐かしく、嬉しく、有意義な夜でした。

写真の話に戻りましょう。専門外の分野にもかかわらず、貴重な石碑を建立するため、調査し、各方面に掛け合い、基金を集め、世のため人のために奔走する。偉いですよねぇ、本当に。林先生、本当に有難うございました。



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