Loading...Loading...

旧印旛高校跡地の公園。

 俵万智。大阪府生まれの福井県育ち。高校卒業後、早稲田大学第一文学部に入学。大学の講義で、歌人佐佐木幸綱とめぐり会う。その幸綱に師事し、既成歌壇とは別のルートで短歌界にデビューした。
 昭和60年大学卒業。神奈川の県立高校の国語の教員として赴任。勤務しながら発表した「野球ゲーム」で第31回角川短歌賞次席。奔放で斬新な表現が歌壇の話題をさらったが、既成歌壇からはブーイングの方が多かった。
 昭和62年5月、第一歌集『サラダ記念日』刊行。歌集としては異例の大ベストセラーとなった。出版記念パーティは、夏休みに入ったその年の7月23日に神田山の上ホテルで開催された。ナント、江畑哲男も招かれて出席している(当時の『番傘』誌にもその時の様子を寄稿している)。
 ともかく異様なブームとなった。社会現象まで引き起こし、ライトヴァースの旗手として口語短歌の裾野をイッキに広げた。カタカナや日常語を巧みに操り、親しみやすいリズムに乗せていった。彼女の歌風は短歌に無縁だった人々の心までも掴んでいった。
……、とまぁ、このあたりまでは皆さんよくご存知のはず。
さて、その後の俵万智。
短歌や随筆の執筆、TV・雑誌その他への露出、さらにさらに各種審査委員などで大忙しの日々を送っていたが、平成15年結婚をしない形で男児を出産。父親の名前を明かすこともなかった。そのとき俵万智40歳。思いきった決断だった。
 住まいと活動拠点はその後何回か変わっている。東日本大震災後には、仙台から石垣島へ移住した。子息の成長にあわせた短歌の発表もしている。石垣島での生活はどうだったのか、短歌の中でしか小生は知らないが、バッシングを受けていたという観測もあるようだ。
 縁あって、現在は宮崎県へ移住している。若山牧水関連のご縁のようだ。いずれにしろ、歌人として、シングルマザーとして、現在も一生懸命に生きている。
 とまぁ、コレがその後の俵万智さんの概略。
人間の人生なのでいろいろあったとも思うが、現在の彼女は58歳。やがて、還暦を迎える。前回、前々回本欄にアップしたような短歌を発表している。発表し続けている。
「短歌を創ることは、一生懸命生きること」、第一歌集の『サラダ記念日』のあとがきで、彼女はこう書いていた。
その一生懸命生きた証としての短歌。正直言って、セウォール号沈没事故やコロナ禍の短歌は、いかにも物足りない。「等身大の俵万智」と言えばそのとおりなのだが、あまりにも幼いままなのである。
その等身大の俵万智を、はてさて、皆さんはどのように評価されるだろうか?

高校があったという証拠の石碑



この投稿を読んで「いいね」「参考になった」と思ったらクリックをお願いします。
なお、Facebook、Twitterなどのアカウントをお持ちの方はそちらをクリック頂き、また、「ひざポン」ボタンもクリックください(ひざポンは無記名ボタンですのでお気軽にクリックください)。

コメントはこちらから

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

Post Navigation

Copyright All rights reserved. SHINYOKAN PUBLISHING illustration by Nakaoka.K