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大きなタイトルになった。おうち時間の多くなった昨今、自分なりに考えを整理してみたい。
皆さんも、まぁお気楽にお付き合いくださいナ。
参考文献は、『国家の怠慢』(高橋洋一・原 英史 著、新潮新書)。基本的にはこの本の記述に即しながら、小生自身が考えたことをまとめてみたい。
まずは、出版社の内容紹介を「紹介」しよう。
《すべては怠慢のツケである。医療は崩壊寸前にまで追い込まれ、オンラインでの診療・授業は機能せず、政府の給付金さえスムーズに届かない。新型コロナウイルスは、日本の社会システムの不備を残酷なまでに炙り出した。それは、政治、行政、マスコミの不作為がもたらした当然の結果でもあった。これまで多くの改革を成し遂げてきた財務省と経産省出身の二人のエキスパートが、問題の核心を徹底的に論じ合う。》
いやいや、上記の紹介はチト違うな。
上記の内容紹介だと、〈国家の怠慢〉が出てこない。〈国家の〉が抜けている。
あるカスタマーレビューさんの、次なる紹介が正鵠を射ている。
《元大蔵省と通産省の官僚二人の対談集。コロナ禍での医療や経済の崩壊はすべて政治家や官僚が有事とせず、平時の対応をしている怠慢と断じる。》
そう、「有事」を避けているという1点。ココを避けて議論がなされ、政治が動いているという1点にこそ、ご両人の真意(=「国家の」怠慢)があるのだ。
劣化したマスコミは言うまでもないが、立憲民主党などの「革新」政党や「進歩的」文化人などは、不思議とこの種の議論を意図的に避けている。議論に立ち入ることすら恐れているように見える。
果たして、〈国家は〉このままでよいのか?
という問いかけが本著のベースにはある。



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