戦後日本を代表する俳人で、前衛俳句運動の中心となり、俳句の可能性を大きく広げた朝日俳壇選者の金子兜太さんが20日、急性呼吸促迫症候群で死去した。98歳だった。埼玉県生まれ。旧制水戸高校時代に作句を始め、「寒雷」主宰の加藤楸邨に師事した。東京帝国大経済学部を卒業後、日本銀行に入行。海軍士官として南洋トラック島で終戦を迎え、後に復職した。戦後は社会的な題材を詠む「社会性俳句」に取り組み、前衛俳句運動の中心となるなど、戦後の俳句運動の旗振り役を務めた。季語の重要性は認めつつ、季語のない無季の句も積極的に詠み、時に有季定型の伝統派と激しい論戦を繰り広げた。俳句をより多くの人に開かれたものにし、「お~いお茶 新俳句大賞」など軽くカジュアルな新潮流も楽しんだ。小林一茶や種田山頭火の研究でも知られ、再評価の機運を盛り上げた。お見事なご生涯でした。ご冥福をお祈り致します。
●代表句
曼珠沙華どれも腹出し秩父の子(『少年』、1955年)
銀行員等朝より蛍光す烏賊のごとく(『金子兜太句集』、1961年)
彎曲し火傷(かしょう)し爆心地のマラソン(『金子兜太句集』、1961年)
人体冷えて東北白い花盛り(『蜿蜿』、1968年)
暗黒や関東平野に火事一つ(『暗緑地誌』、1971年)
梅咲いて庭中に青鮫が来ている(『遊牧集』、1981年)
おおかみに蛍が一つ付いていた(『東国抄』、2001年)
今日がお誕生日の方、おめでとうございます。2月21日(水)の花は「ミツマタ」、花言葉は「壮健」。今日は①衆院憲法審査会(国会)②1月の訪日外国人数(観光庁)④平昌五輪スピードスケート女子団体追い抜き(韓国・平昌)。私は8時30分スタートで11時30分東京医療センターで斎藤史郎先生2005年ガンオペの定期検診。第8回旭区ことぶき大学講座は欠席。ところで、横浜の先人・中村冨二氏(明治45~昭和55)。川柳革新運動の基点となる「鴉」の主宰。昭和32年、「現代川柳作家連盟」が結成メンバー。句会荒し「締め切り間近に現れる冨二の姿を見て、ああ、もう今日はダメだと言われた賞品泥棒の句。今、読んでも発想が新鮮ですね。
人形の帽子はみんな生意気だ
寒卵ぬくし老後の死は然り
原爆の向こうで笑うのは 誰だ
古いパンむしる老人になりたくない
パチンコ屋 オヤ貴方にも影が無い
貧弱な泡を残して溺死する
麦の寺 少年風となりにけり
物喰えばけだものである咽喉の奥
むかしわが豚に捧げし豚のうた
神が売る安きてんぷら子と買いし など
(※勢佐木町に生まれ。昭和8年より横浜天町句会を始めて、 句作に励んだ。14年川崎で古本屋を開業、客の松本芳味を識り、句誌『鵜』を創刊。『 川柳ジャーナル』では教祖的存在 )
茂男さんおはようございます。
金子兜太さんが旅立たれました。98歳でしたね。秩父のお生まれで熊谷市の郊外にお住まいでした。僕が行田市に勤務していた頃はご自宅の近くを毎朝車通勤でした。
昔から秩父線の駅に掲げられてある★曼珠沙華どれも腹出し秩父の子 兜太 の句が大好きでした。…合掌ー。
晩秋さん おはようございます。金子兜太先生は秩父のお生まれですね。熊谷市の郊外にお住まいでしたか。ご縁があったのですね。また、「曼珠沙華どれも腹出し秩父の子」、兜太らしい句ですね。お見事なご生涯、ご冥福をお祈り申し上げます。ところで、2月24日(土)12時野毛地区センターでの「くろしお句会」、お題「大将」のご高選、楽しみにしております。よろしくお願い申し上げます。暫く、寒い日が続きそうですご自愛下さい。ありがとうございます。
おはようございます。
兜太さんお悼みいたします。俳句は先輩に連れられて行った句会が始まりとか。若し、若しこの時行ったのが川柳句会だったら・・。川柳界にとってなにか残念です。
黒田総裁が川柳に親しめば日本経済の底辺が向上するに違いない。
逝く人はお名残り惜しい人ばかり
千四さん おはようございます。兜太先生は大往生ですね。巨星去るです。もし、出会いが川柳句会でしたら川柳界は様変わりしていたでしょうね。ところで、黒田節はまだまだ続くのですね。虎の子が骨皮になります。「逝く人はお名残り惜しい人ばかり」、響き合います。同期会もそんな感があります。そろそろ、私の番かと自分を買いかぶります。今朝もありがとうございます。今日は寒そうです。ご自愛ください。
茂男さん、こんにちは。
俳句を身近な存在にしてくれた功績も大きい方ですね。代表句もありすぎて、今更ながらどれだけの俳人で会ったのかと思います。兜太さんのように心を自由に詠めるようになりたいなぁ‥‥。冨二さんの作品も、ちょっと似た香りがしますね。
今日もいい日になりますように。検診はお疲れさまでした。
恵さん、こんばんは。兜太先生は東大から日銀へ。でも我々にはまるごと俳句の先生でしたね。お見事な人生へ拍手を送ります。ところで、どんなに素晴らしい方でも終わりがあります。来し方を振り返りますと、変われるものなら代役を引き受けてやりたいそんな素晴らしい先生方と何人も出会い、多くを学ばせていただいた幸せに感謝です。兜太先生も冨二さんも直接の出会いがありませんでした。残念無念。ところで、今日の東京医療センター泌尿器科の待合室、13年前の私のようにセカンドオピニオンで名医・斎藤史郎先生を探し当てられたご夫婦と出会いました。「良かったね、もう大丈夫だよ」と慰めました。人生のドラマは絶え間なく繰り返されています。今日も有難うございます。明日も寒そうですよ。ご自愛ください。