今日を生きるということを
まさに思い知らされている
体にも心にも静かに浸透してくる
決して嬉しくはないのだが実は悲しいばかりでもない
心はとても単純に発動して
気がつくとそれを客観視できなくなっている
パニックにはならないけれどとても動いている
支えてあげられるだろうかにありがとうばかりが帰ってくる
近頃は自分を誰かを何かを
評価することばかりだと気づいてはいたが
大切なのはそのこと自体ではないと言い聞かせて
あるがままに自分を任せてみようと心がけてはいる
過去があって今日の花が咲くように
今どんな種が蒔かれるかで未来の色や形が決まっていく
過去に何であったかではなくどう生きたかが今日になる
今日どうあるべきかわからなくても私は目の前を一所懸命
九十四往って生きると母は告ぐ めぐみ
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お疲れのでないよう自然体で・・・
ふと。
恵さんの「かみさまのいうとおり」
茂男さんの「ありがとう有り難う」
春さん、おはようございます。
自然体であまり力を入れずに過ごせたらいいですね。
朝一番にありがとうございます。
傍に居る人の笑顔が観世音
千四さん、おはようございます。
先日静かに他界いたしました。3人家族だったので大きな穴を抱えています。何もできないけれど何か近くにいる人のお役に立てますように。
身に沁みる一句をありがとうございます。
めぐみさんの今日の一歩があなたの明日をつくります。
お気をつけてーーー。
与志魚さん、おはようございます。
立ち止まったっきりで身動きできない気持ちですが少しずつ歩きましょう。
一歩ずつですね。
お心のままに。
お返事は結構です。
ありがとう、ございます。
おはようございます
お母様、生を全うされたのですね!ある意味素晴らしいことだと思います。
4月に亡くなった父も94歳。93歳までは普通に美味しいものを食べ自力でなんとか歩いてがんばっていました。去年の8月コロナにかかって(二度も!)誤嚥性肺炎になってからは、食べられない歩けない(体重がなんと30キロに!)大好きなテレビも見なくなり「何が楽しいのだろうか。。。」という思いがありました。会いに行って寝ている姿はまるでミイラ。額に手を当ててもあまり熱も感じず。ただ目が覚めているときは少しおしゃべりができましたが、もう多少この世でない人のような感じもしていました。「一生懸命生きましたね。ありがとう!」という思いしかありませんでした。
母も94歳。こちらは相変わらずヤンチャで周りの人たちはブンブン振り回されています。しょっちゅう頭に来ていますが、これも生きているからこそと、母のわがままをなるべく受け入れたいとは思っているのですが。。。。。
めぐみさん、そして魔法使いさん、寂しいと思いますがお母様はたくましく生を生きられたのだと思います。お二人もこれからの人生素晴らしいものにしてくださいね。
このみさん、ありがとうございます。
義母とはいえ40年も一緒に暮らしてきたので生活の人生の大きな部分でした。がんばっていた姿はお手本です。その穴はなかなか埋まりそうにはないけれど、とにかく元気でいなくてはね。
やんちゃなお母さまにとっても穏やかな毎日でありますように。
めぐみさん
そうだったのですね。
お疲れ様でした。
昨日義母の三回忌で、今になって親戚の人たちと義母の話をできるようになった自分に気が付きました。
曾祖父の浴衣を義母が縫い直して義父に着せていた、それを今私が糸を外して息子様に縫い直している。糸を切りながらその針目に義母の性格を思い出している。
紆余曲折がありながら、いつのまにかお手本となっていたのだなあ、と偲んでいます。
まずはめぐみさんと御主人、お二人が休んでくださいね。
いそこさんも大変でしたね。
三回忌の法要もお疲れさまでした。
少しずついい思い出が育ってくれるといいなと思います。
ありがとうございます。