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3月末に父が亡くなり、あっという間に2か月がたった。

指のすきまから、時がこぼれ落ちるように、

本当にあっという間だった。

父は、昨年の夏、夏バテで体調を崩し入院、

しかし、それが死に至るとは誰も思っていなかった。

胃カメラをやられて、

「えらい目に合っちゃったよー」とか、

「病院の飯なんか、こんなもん食えねえよ」と、

江戸っ子らしく文句を垂れていたのだが。

ご飯を食べれないのは、死に直結だということが、

本当によくわかった。

ち~ん。

いや冗談ではなく。

わがまま言わずに、まずくとも食べておればよかったのに。

栄養の点滴が鼻チューブになった頃には、

わがままもどころか、何も言える状態ではなくなった。

しかも鼻チューブが苦しくて、外してしまうのを

阻害するために、拘束の手袋をはめられた。

これで携帯も使えず、テレビのリモコンも持てない状態に。

……。

ここからは恐ろしい時間の始まりだった。

人がひとりゆっくりと壊れていくのを、

家族はなすすべなく見続けることを強いられた。

病院からは「もっとリハビリにやる気を出してくれたら」と

言われたものの、

食事を咀嚼して嚥下することを奪われた時点で、

すべてもう遅いのだ。

診断名は、

「廃用症候群」。

なんという病名だろう!!

廃棄寸前なのだという、このネーミングに、

胸がつぶれそうだった。

その間に、奈良の国民文化祭があり、

これも覚悟の上での参加となった。

万一の場合のシュミレーションをいつも傍らに置いて、

司会その他をどうするかを、

頭の片隅で繰り返していた。

その緊張感は、今から思い出してもものすごいものだったと思う。

幸い無事にイベントは終わり、

父の誕生日、正月を越して、

もはや意思疎通も難しくはなっているものの、

何年もこのままでいくのだろうと、

家族の誰もが思ったのだ。

そんな3月の末に急変し、あっけなく死んでしまった。

危篤になっても父は死なないと、

家族はのんきに信じていて、

ちょうど年度末の繁忙期、

長男も次男も県外の現場を走り回っていたのである。

今、思い返しても、

やっぱり父は死なないような、

そう思ったことが正しいと思えるのだ。

こんな気持ちは何と呼ぶのだろう。

未だに整理できずにいるが、

くちゃくちゃの心は案外心地よい。

考えることは多く、思うことも多い。

人の世の無常がひしひしと感じられ、

まばたきを忘れるほどである。

誰よりもおしゃれでダンディーで、

誰も着こなせないようなスーツを着る父が自慢であり、

しかし、仕事を一緒にやるようになってからは、

衝突も多かった。

(例の家具屋の親子を見ると、心ざわつくのである)

どれもまだ思い出にすることはできない。

ああ、だらだらとこんなことを書いてしまって…。

こうやってたぶん癒しているのだろう。

もう少し。

もう少しだけ…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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それでも陽は昇る   ~父の死とそして”にコメントをどうぞ

  1. 大阪三番 on 2018年5月29日 at 3:47 PM :

    お悔やみ申し上げます

    時の流れは 大きな愛 です 合掌

    • 阪本きりり on 2019年3月5日 at 10:41 AM :

      三番さま

      すぐにコメントありがとうございました。
      やっと一年です。
      ブログも私生活もほったらかしで、
      一年たちました。
      やさしいコメントありがとう(*´ω`)

      きりり

  2. 竹内いそこ on 2018年6月20日 at 10:00 PM :

      きりりさま
     こんばんわ。
     あの熊本大会から十日過ぎたのですね。
     直後は、お会いできてよかったー!! と単純に興奮していたのですが、
    帰ってきて、こちらのブログを何度も何度も読み返していると、そういえばお元気がなかったような、そして、直前のブログ更新を見落としていたことと、無神経に興奮していた自分を反省しています。
     そうですか。
     国文祭奈良大会を通り過ぎたこの半年あまりは大変心労を潜り抜けた時間だったのですね。
     なにもかも考えて、シュミレーションして、手立てを打って、・・・・・
     それでいて、何も変わらないことを信じていて・・・・・

     よく頑張ったね。ほんとに。
     偉かったね、きりりさん。

     今はいろんなお父様の姿を思い出してあげてくださいね。
     笑っておられた姿とか、
     衝突して気まずくなった背中とか、
     ダンディだったスーツ姿。
     素敵な方だったのですね、きりりさんのお顔に似ている方を想像しています。

     ご冥福をお祈りいたします。  合掌。

     

    • 阪本きりり on 2019年3月5日 at 10:45 AM :

      いそこさま

      昨年よりぐっと距離の近くなったいそこさん。
      これからもよろしくです。

      父の死に関しては、
      今後、感傷を脱していくのだと思います。
      そこは恐ろしい境地かもしれない。
      自分の老いと重ねて。
      まだまだ可能性を感じています。

      それでは今後ともよろしくねヽ(^o^)丿

      きりり

  3. らき on 2018年7月1日 at 10:59 AM :

     お父様のこと心からお悔やみ申し上げます。ようやくblogに書くことができる気持ちにはなったのですね。そう、私も、親が死んでしまうなんて爪の先ほども思っていませんでした。二人とも絶対元気になると信じて疑っていませんでした。身内って、そういうものなのかもしれませんね。時間だけが味方ですね。二年間はいろいろとやることがありますが、くれぐれもご自身のお身体を大切にして下さいね。

    • 阪本きりり on 2019年3月5日 at 10:51 AM :

      らきさま

      本を送ってくださり、
      ありがとうございます。
      こんなところでお礼を言ってちゃダメですね。
      らきっちこそ、変わりはないですか?
      私はこの冬は風邪をひきませんでした!
      あ、まだ冬終わってない?
      春もあと少し。
      がんばろうね!

      きりり

  4. 太秦 三猿 on 2018年8月13日 at 12:51 PM :

    初めまして、太秦三猿と申します。
    お父様のご逝去、お悔やみ申し上げます。
    おいくつだったのでしょう。
    自分の近未来を見るような思いで読ませていただきました。
    私も部分的に壊れだしています(目とか膝とか)が、全体ではまだ元気でいます。
    でもいずれ壊れていくのでしょうね。徐々に壊れるのか、急速に壊れるのか。
    とに角食べることを大切にしようと思っています。
    まだビールも大丈夫ですが。

    • 阪本きりり on 2019年3月5日 at 10:54 AM :

      三猿さま

      お礼のコメントがこんなに遅くなって
      すみません。
      お元気ですか?
      川柳をやっているうちは大丈夫ですよ!
      外へ出かけて多くの人と触れ合い、
      おしゃべりをたくさんして、
      美味しいものをたっぷり飲み食いするのがいいと思います!
      父は78歳でしたが、
      家で本ばかり読んでいるようなタイプ。
      そりゃ衰えますってば。
      またどこかでお会いできたら、
      声かけてくださいね(#^^#)

      きりり

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