今年に入ってから、親しくさせて頂いていた若く有望な川柳作家が相次いで他界した。
1人は大阪の久保田紺さん。昨年の7月8日、再手術から帰還したことをご自身のブログに「ご心配をおかけしました。格段に目がだめになりました」と2行だけ書かれていた。その後まったく更新されていないので心配していた。が、1月17日に「母からのメッセージです」というタイトルで、旅立ったことが記されていた。紺さんと、いつごろ何がきっかけで知り合ったのかよく覚えていない。お酒が大好きで、久保田という姓も雅号であって、新潟の銘酒「久保田」から採ったということも数年前に知ってビックリした。数えるほどしかお会いしていないが、いつも穏やかでにこやかで、大病を抱えているとはとても思えなかった。
もう1人は静岡の加藤鰹さん。ずいぶん前に、このブログにコメントをくださったのが知り合えたきっかけだった。そのとき、鰹さんから「団ちゃんのブログを覗いてください。若い仲間が川柳について語っています」と教えられ、団石さんのブログに訪問したのが、静岡や山梨の人たちとの交流の始まりだった。その後、何度もお会いしたがいつも朗らかで元気溌剌の好漢だった。「余命3ヶ月と宣告されました」と、衝撃の記事をご自身のブログにアップされたのが昨年の夏。以後、各地の句会や大会に出て華々しい成果を挙げたのはご承知の通り。最後にお会いしたのは昨年秋。弓削の西日本大会であったが、余命僅かなど微塵も感じさせない朗らかな笑顔には感服した。ご逝去は1月25日。
お二人に共通なのは、イノチにかかわる大病を抱えていながら、終始おだやかで朗らかであったこと。もちろん、心身ともに辛くて苦闘されておられたであろうが、それを外に出さなかった精神力には頭が下がる。私には到底できないだろう。
有望な若い二人の死は、ご家族にとっても悲しく辛いことだが、川柳界にとっても残念極まりない。私より若い人は、少なくとも私より先に逝かないでいただきたい。これからの川柳界を支え発展させてもらいたい。お二人のご冥福を祈りながら、せつにそう思う。
早退厳禁!ぼくより若い人 完司
鰹さん亡くなられたのですか。残念です。
西日本川柳大会でお会いしたのが最後でした。生き様にはホトホト感銘をうけました。
のんべんだらりと生きている私にとって、もったいないことだと考えさせられました。
はい、最新の薬などで頑張れば1年ぐらいはなんとか、と言っておられましたが…。宣告を受けて半年でした。でも、その半年間の生き様はまさに「奇蹟の男」。終末に臨んでの鑑としたいものでが、かなり高いハードルでしょう。
「心遣いの違い」
① 韓国は、出されたご飯は少し残す。
「足りなかったのでは」 ともてなし側に思わせないために…。
② 日本は、ご飯を残さずに食べる。
「本当においしかった表現は残さず食べること」 と考えて…。
ご両者には、こうした心遣いがあったんだろうなと、ある意味感動です!
(-公-、)重たくも爽やかにも吹く命
ほ~、韓国と日本、相手に対する心遣いは①と②の違いがありますか。知りませんでした。たしかに、日本で食べ残すと「不味かったのかな?」「嫌いなものだったのか?」などと思われますね。
そのようことから、ご両人の心遣いにまで想いを馳せるって、すご~い!
語れない哀しみを抱き散る椿
本心を見せずに散った寒椿
三年前個人誌「川柳くれない」を立ち上げた時、トラック野郎の格好いいカラー写真を数枚と川柳5句を心良く提供してくださった鰹さん、その写真を眺めながら、出会いに感謝するばかり、、。短い交流でしたが心深くありがとうを伝えたい、。ご冥福を祈ってやみません、、。合掌
そのようなことがありましたか。やさしく義理固い彼らしさが現れていますね。
日本人男性の平均寿命が80歳になった現在、51歳はあまりにも早過ぎる。ほんとうに残念至極です。
鰹さんの事ではいろいろ不安や苛立ちを与えてしまい申し訳ありませんでした。
でもようやく公式に発表できたので一安心です。これで大声で鰹さんの事を語れるから。
しかしここで話すとキリがないのでいずれじっくりと。
鰹さんと楽しく過ごしていただき感謝です。
ばふんうにに書かれたように今度イーッパイ奢ってくださいね。
最後に鰹さんと会話したのは夕介さんですよとご家族に言われた時は震えました。
夕介さんこそ、ご家族との間に立たれてのご心労お察しします。
ディズニーランドで一足先にバイバイしてから、あなたと鰹さんの喋り方が「とても丁寧で優しい」ことが話題になりました。声もソフトで落ち着いていて、どこのホテルマンにも負けない話し方、思い出すたびに心地良い気分になります。
はい、またどこかでお会いしましょう。いっぱいご馳走させていただきます。
鰹さん、ご家族やお仲間さんにとって、おひさまのようなかただったのでしょうね。
句からもブログからもあたたかいお人柄を感じます。
いつそのときが来ても、と深いところで覚悟もしながら
悔いのない行動をし、笑っておられたのでしょうね。
わたしが、なけなしの勇気をだして
来月14日の豊橋番傘10年の集いに行こう!と決めた頃、
鰹さんも来られる予定であると知り、
その日にお目にかかるのを楽しみにしておりました。
おあいすることはかないませんでしたが、
鰹さんを知る身近な方々に、
これからたくさん鰹さんのお話をうかがっていけたら
うれしいなと思います。
鰹さんがおすすめして下さったお酒の銘柄がいくつかあるのですが、
(あつかましくも)いつかぜひ、ご一緒して下さいね。
黒霧島でも、もちろんよいですが。
はい、明朗快活且つ優しく思い遣りのある好漢でした。もちろん、宣告を受けてからは苦しい日々だったでしょうが…。私たちには全く変わらぬ態度を見せていました。あの精神力には敬服のほかありませんでした。
はい、いつかお会いした折には、「鰹さんへ献杯!」いたしましょう。私は晩酌はもっぱら焼酎の湯割り(黒霧島orいいちこ)ですが、本来は何でもOK! 清酒もお付き合いできますのでよろしくお願い申し上げます。
誌上大会の発表誌が出る前に賞品を手渡している鰹さんに、それおかしいだろ、と噛み付いたのが懐かしくなってしまいました。
駆け抜けてしまいましたね。
そうですね。元気いっぱい駆け抜けていった、という印象ですね。
あの突然の幕切れ、「ボンヤリしていてはいけませんよ!」と教えられているように思えます。
すっかりご無沙汰をしております内に
かつおさんご逝去とは….余命..月と公表されながらの
ご活躍に、嘘のように思いながら、心配していました。
霜石さんからの縁で文通させて頂き、ブログ散歩も楽しみ
でした。
心からご冥福をお祈り致します。
永いご無沙汰をしていました。
さすがに九十才の坂は厳しく、覚悟しながらもいざとなると
慌てふためき、力に面倒をかけています。
全てが、老化で、自力,自然快癒しかない現状です。
長生きを勿体ないが持て余し
痛くて当たり前、しんどくて当たり前の昨今を、支えて貰い
ながら気ままに、こんなもんやで暮らしています。
ブログを久し振りに拝見しました。
忘れていなかったので安心して、これから作句に掛かります。
今月は「展望」もありウカウカしておれません。
いつも有難うこざいます。
お身体お大切にお過ごし下さいませ。
こんにちは~。お久しぶりです。
90歳になられましたか。多少の不自由さはあるでしょうが、お元気でなによりです。
先ほどTVに、日野原先生が元気に出ておられました。104歳?とかで、ビックリポンです。比べると千歩さんは14歳も若いのですから、負けてはおれません。無理せぬよう、孝行息子さんに甘えながら、長生きしてください。日本一、いや世界一も夢ではありません!
鰹さんに出会ったのは銚子でした。
やさしい声で「ディズニーに行かれますか?」と携帯へ。
句集「かつぶし」にその時の写真がありました。
とても楽しい素敵な思い出となりました。
そうですね、鰹さんの企画で懇親会に加えてディズニーなど、本当に楽しいひとときでした。いつも「仲間を楽しませたい」という気持ちが溢れた、やさしく思い遣りのあるナイスガイでした。今度飲むときには、先ず「鰹さんに献杯!」致しましょう。