5日に胃の内視鏡検査、6日に大腸の内視鏡検査を受け、その後は検査疲れで今朝の10時過ぎまで眠り続けていました、これではいかん!、やることはてんこ盛りあるのだ!、気分を変えて元気にならんといかん!と思い立ちタイ古式マッサージに行きました。
午後3時過ぎに帰宅し、気分一新、まずは届いているFAXからチェック…。
とんでもないというか、思いもつかない訃報のFAXが届いていました。3月7日14時03分着です。
夫 高柳 宏司(閑雲) 儀3月5日永眠いたしました(満63歳)
通 夜 3月7日 18時00分より
葬 儀 3月8日 10時00分より
新型コロナ感染予防を鑑み、近親者のみの家族葬にて執り行いますので御会葬の儀は固く御辞退申し上げます とある。
閑雲さんの自宅もケータイも通じない。水川さんに電話。参列は無理でもせめて生花くらいは、生花で寂しくないように飾ってあげたい、と話し、葬祭所に電話。こちらの気持ちを伝えたら、奥さんに伝えて下さると言っていただけました。間なしに奥さんから電話がかかってきました。
2月13日に入院していました。3月1日に急に意識が無くなって、緊急病院へ。肝臓も心臓も腎臓も異状ないから退院して下さいということで、5日に先に入院している病院へ戻ったそうです。で、先に入院している病院へ、奥さんが着替え等を持って行った11時30分には、閑雲さんは元気だったそうです。それから後に閑雲さんの容体がまた急変して再度緊急病院へ。連絡を受けた奥さんが駆けつけ、処置室前で見守ること20分…後、肝臓も心臓も腎臓も機能してないと言われ、その20分後に心肺停止、血圧も下がって50を切っていたそうです、息子さんも立ち会われていて、それから20分後に閑雲さんは亡くなったそうです。深夜で日付は6日に変わったばかりだったとか。
死因が全く分からないので、解剖をしたら、真っ黒いものが(塊かな)が入っていたそうです。お腹も便秘だったのかぱんぱんに腫っていたという。コロナではないと。
思わず、「そんな事ってあるの」と言ってしまった後で、「いちばんびっくりしているのは閑雲さんだわ」まさか自分が…、いったい俺は 今どこに居る…、右往左往しているんじゃないかな どうぞ安らかにという言葉で送るしかないのかな。しんどい夜です。
私に届いた閑雲さんからの最後のラインは2月12日「おはようございます。朝っぱらからすみません。欠席投句します。順子さんあてで、送ります。バレンタインチョコはやっぱり、水川さん、タカシさん辺りが独占かな、句会当番は3月句会に務めます。」でした。夕方にした私のライン「了解」には既読はつきましたが、
14日「おはよう、郵便届かなかったです。未だ間に合いますので、FAXして下さいませんか。お願い!」 21日「体調不良ですか?、多忙ですか?心配しています。3月号の編集にかかりだしました。近詠が出来ているようでしたら、ライン下さい。23日まで待ちます。まずは御身大切、ご自愛下さい」には、既読 は付かなかったです。ただただご冥福をお祈りいたします。