《混浴の相手に鮫は不適切》は《狭いニッポン台風は急がない》の句などと並び2015年秋号(11月1日発行)に掲載された句です。そして、季刊であるため、2015年8月15日が出句締切だった句です。「なんだって、夏に作った句を2月のブログに載せるんだ」ごもっともです。しかし、ちゃんと理由があるのです。「鮫の句」は同誌2016年冬号(2月1日発行)の巻頭の『前号秀吟』に再録されたからです。
「鮫の句」と並んでいた「台風の句」を見ていただければ分かるように、これは「地球温暖化」を詠んだ時事吟です。列島に長々と滞留して、大きな被害をもたらした台風、そして海水浴場に出没した鮫を詠んだのです。
「それにしても、混浴が風呂でなくて海水浴というのは突飛な表現ではないか」という声が次に聞こえて来そうす。しかし、我が国における海水浴の歴史は、まさに「浴」であって、「泳」ではないのです。・・・・各位お調べください。 「鮫の句」は「鮫が海水浴場に出没した」という朝のニュースと、体育学部体育史研究室出身の団扇の事情が合体して出来上がった句なのです。
だから、《絶賛をされた句評の的外れ》の句は、句評をされた方を批判した句ではありません。「作句者の意図はいろいろな理由で思うようには鑑賞して貰えないものだ」という真理を述べたまでです。
さて、季節の問題で論を進めれば、季語のない川柳は、季節を違えて鑑賞されると「憂き目をみる」可能性が高いと思われます。一方、季語があるから「夏の句」だと理解できても、「二十年前の夏でも差し支えない句」では如何なものかとも思われます。勿論「不変の真理を詠むことを無意味」とは申しませんが、川柳では時事性が大切な気がします。季節の問題に限らず、作者の意図を懸命に読みとろうと考えるのは、元の職業柄からでしょうか。尾木ママではないけれど、川柳の作品にも「どうしたの」と優しく問いかけたいと思います。
さて、話が固くなったので、リラックスしましょう。「海水パンツ」に「海水着」を省略すると「海パン」と「水着」になり、決して「水パン」と「海着」にはなりません。どうしてでしょうね。「水パンと海着では、何となくおかしいじゃん」というみなさん、その「なんとなく」を考えるのが団扇は大好きです。
「
団扇さん、気になっておりました、
混浴の相手に鮫は不適切
の句の解説をありがとうございます。
混浴とは海水浴、
地球温暖化を詠んだ時事吟でしたか。
思い及びませんでしたが、読んでなるほど!です。
漁師さんが、網にかかったさかなを見て
「こんな(熱帯の海にいるべき)種類の魚がかかったのは
初めてのことだ」
「この時期にこんな魚がいるなんて」
と、とまどいを隠せず、温暖化を危惧しておられたニュースを
見たことがあります。
それを思い出しました。
鮫にとっても、不適切(不本意)な混浴だったのですね。
自分が意図した句意とちがうところでほめられてしまうのも
複雑な心境になるものなのでしょうね。
わたしはいつもわかりやすすぎの、そのまんま句が多いので
もっとひねりなさいよみたいな、逆の悩みが多いですが。。。
時事性が大切 というお言葉にも、
いろいろ考えさせられます。
ありがとうございます。
有難う御座いました。いつも、読んで頂いて張り合いがあります。