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  我にダンテの奇才なく バイロンハイネの熱なきも

石を抱いて野に歌う 芭蕉のさびを喜こばじ

ダンテ  1266~1321  芭蕉   1644~1691

バイロン 1788~1824   ハイネ  1797~1856

鉄幹      1873~1935    鶴 彬  1909~1938

団扇  1949~

鶴彬を顕彰する会の機関誌「はばたき」題34号に、「和 川柳社」会報に寺内徹乗さんの寄稿が同封されていました。その内容は、鶴彬碑建立式典 第20回鶴彬碑前祭 鶴彬没後80周年記念講演会  ドイツの鶴彬 ドイツの抵抗文学 講演 田村光彰先生

講演の中で、ハイネはヒトラーに抵抗したドイツの詩人・作家であるだけでなく、鶴彬にも影響を与えていたことを紹介しました。

 ハイネと聞いて、団扇が思い浮かべたのは、与謝野鉄幹の「人を恋うる唄」の一節です。鉄幹はハイネとは、生存期間が17年もズレていますが、団扇と鶴の差9年よりも長いとはいえ、歴史上の人物よりも親近感があったと思います。

 同じ時代に同じ空気を吸って生きている者同士が、ヒトとしての連帯感を感じるように、時代を隔てて存在する人間も、別のヒトを介して継がっているのですね。

 団扇の父は1917~1984です。長野県から新宿牛込に奉公にだされた父は、主義者を追う「御用だ御用だ」の風景を目撃しています。鶴彬と団扇は、父の仲介で完全に繋がっています。 縦にも横にも繋がって、ヒトの世は紡がれていくのですね。   



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鶴彬はハイネを熟読していた”にコメントをどうぞ

  1. 目刺し on 2021年1月27日 at 9:22 PM :

        団扇さんこんばんは。「鶴彬はハイネを熟読していた」を拝見し、半信半疑?
       ネット検索し寺内氏の寄稿を読みました。
        あのハイネがヒットラーに抵抗したドイツの詩人だったこと、
      「鶴彬がハイネを風刺的リアリズム」と 評していたなど(いいね!)でした。
        有難うございました・・・。

    • 植竹 団扇 on 2021年2月3日 at 7:29 PM :

       面白い記事でした。研究しなくてはならない課題ですが、取り敢えず拡散させていただきました。

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