川柳は、五七五の定型詩。俳諧連歌から派生した近代文芸なのね。おなじ五七五の音数律をもつ俳句が発句(ほっく)から独立したのに対し、川柳は前句付け(前句附)の付け句が独立したもの。
江戸中期の俳諧の前句附点者だった柄井川柳が選んだ句の中から、呉陵軒可有が抄出した『誹風柳多留』(はいふうやなぎだる)が刊行(1765-)されて人気を博したのね。『誹風柳多留』は幕末まで刊行され続け、延べ167編を数えたのね。この時代までの川柳を古川柳と呼ぶのね。
川柳は季語がなく口語が主体、字余りや句跨りの破調など規律に囚われない。現在、俳句が口語を取り入れ、詩的表現を追求する川柳が文語に近づくなど、表現上俳句と川柳の差がなくなってきたともいえるのね。川柳は「自由なフィールド」、だから句会がいつも熱気に包まれるのです。この立ち位置が最もたいせつで、ここにどんどん新しい表現がでてきていいと思っているのね。短詩型文芸には短歌から入り、俳句も詠んできたあきこが、これからの文芸として川柳を認識、さいごに選んだわけもこの一点にあるのです。